アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち165
“私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。”(詩篇119:14,16) この詩篇は1篇で176節もある聖書中最長で、ヘブル語のアルファベット22文字から連なり、8行ずつ同じ頭文字から始まります。それらは、ほとんど神のことばを「おきて、ことば、あかし、さばき、さとし、悟り、戒め、仰せ、定め、道」のいずれかのことばで綴られているのです。この14節の「あなたのさとしの道」は、ヘブル文字の2番目の「ベース」から始まっています。詩人は、自らが苦難と窮乏の中にあるのにも関わらず、「あなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しみ喜んでいる」と心の底から歌っているのです。それは、万物の創造者で... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち160
「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20) クリスマスが間近に迫っています。救いの御子がこの世に来てくださり、私たちの心の扉をノックしておられます。それは、天地万物を創造された偉大な神が、この世を愛し、信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを持つために私たちに与えてくださった恵みのギフトです。もし、あなたがこのクリスマスに心の戸を開きイエス・キリストをあなたの心に迎え入れるなら、「平和の君」と言われる恵みの主イエス・キリストがあなたの食卓に着き、あなたもイエスとともに食卓の恵みにあずかるこ... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち158
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) この聖句は、聖書66巻全体の中心主題とも言える重要な箇所です。ここには、神は私たちが住むこの世を愛して、御子を信じる者が永遠のいのちを持つために、ひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったとあります。これこそ、神が私たち人類に与えてくださった最高のプレゼントであり、私たちは、この「永遠のいのち」を無償で持つ者とされるのです。しかし、見過ごしてはならない要件が一つあります。それは、「御子(キリスト)を信じる者」が与えられ持つことができる特権なのです。貴金属の鑑定士が熟練するまで... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち156
「こどもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」(1ヨハネ3:18) 真実な愛は、岩のような固い心をも打ち砕く神の力です。このことばを記した使徒ヨハネは、弟子たちの師である主イエスの一番弟子ペテロを差し置いて、自らを「イエスが愛された弟子」(ヨハネ21:20)と書き記し、イエスに豊に用いられました。ヨハネの福音書の他に第一と第二ヨハネの手紙を書き記し、さらには聖書巻末の壮大な終末の預言、「ヨハネの黙示録」を記しました。彼は、短気ですぐに怒りやすい性格から、「ボアネルゲ」(雷の子)と主にあだ名を付けられるほどでした。しかし、後のヨハネは、愛に満ちた人となり、主の母マリアのお世話をするようになり、多くの人々にキ... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち155
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6) この詩篇23篇を英国の名説教家スポルジョンは、「天国を歌ったダビデの牧歌」であり、「まさしく詩篇の真珠である」と表現しています。特に冒頭に掲げた最後の6節、「私はいつまでも主の家に住まいます」は、天国における永遠の住まいを表しています。この地上で、主の 「いつくしみ(トーブ/goodness)と恵み(ヘセド/love)」が、背中を押すようについて来る(goodness and love will follow me)というのですから、なんという信仰の確信でしょう。今から21年前、私の母が天に召される時、私は母の枕元で、暗唱していたこの詩篇23篇を声に出し... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち154
「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2-3) 昨夜の祈祷会で「恵みと祝福はどう違うの」という質問が出された。本当に純真な質問で、私も「う〜ん…」とうなずきながら、出席者とともに考え、私からは、恵みは旧約聖書の原語では「ヘセド」と言い、「愛、誠実、慈しみ、あわれみ、恵み」など神のご性質を表します。神は、御子イエスの十字架の贖いの御業で、この豊な恵みを私たちに与えてくださいました。これを新約の原語では「カリス」と言い、神がキリストによって人に与えたこの祝福が無償であることを「恵み」であると言い、「祝福」... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち153
喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」(ローマ12:15) 「 このことばに続いて、パウロは「互いに一つ心となり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。」(新改訳2017)と続け、注意を促しています。ここにキリスト者が一つ心となる愛の交わりがあるのです。この「交わりなさい」は、新改訳第3版では「順応しなさい」と訳されており、原文は「スナパゴーマイ」で、「自身を順応させる、(身を低くして)〜と交わりを持つ」という意味があります。それはまさに、私たちの罪を一身に背負い十字架の道を歩まれたキリストの姿です。キリストの十字架によって罪贖われ、神の子とせられた私たち... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち152
「高ぶりがあると、ただ争いを生じるだけ。」(箴言13:10) <Where there is strife, there is pride.> 私が愛読している『謙遜』というアンドリュー・マレーの著書の中に、「人の高ぶりこそキリストの贖いを必要とする最も大きな罪である」とあります。聖書は、高ぶりは争いを引き起こし、自らを破滅させるとも教えています(cf.詩篇16:18,18:12)。終末の様相を呈しているこの時代、キリスト教会の中にもヒタヒタとこの高ぶりが義人の姿を装って入り込んでいます。パウロは、1コリント13章で、「…あらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しい」と愛を強調し教えています。人の高ぶりには、その愛が欠落してい... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち151
「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」エペソ2:14-16 実に、キリストこそ私たちの平和です。」(エペソ2:14) このたび私は、旭川の教会に講師としてお招きされ、『聖書が語る神の愛』というテーマでお話をさせていただいた。背後の積み上げられた豊かな祈りにより、聖霊に押し出されるように、神の愛について語らせていただいた。同労の牧師ご... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち149
「一切のことを、愛をもって行いなさい。(1コリント16:14) 「愛は結びの帯として完全です。」(コロサイ3:14) 私の一日は、朝の祈りとみことばから始まり、就寝前の感謝の祈りで終わります。取るに足りない小さな者が、キリストの十字架の愛と恵みによって、全知全能の偉大な神を知るようになり、素直に「天の父なる神さま」と呼ばわり、祈れる人間に変えられた。まさに奇蹟である。その神が使徒パウロを通して、「一切のことを愛をもって…」と語り、さらに「愛は結びの帯として完全です」とも言うのです。この「一切のこと」と「完全」は、まさにeverythingでありperfectなのです。今もなお罪深い愚かな者が、どうしてこれを実行出来ようかと思われるかもしれないが、なんと朝一番に、...