未分類– category –
-
絶対的主権によって
恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたにいいます。この方を恐れなさい。ルカ12章5節 [聖書]ルカ20:1〜19 イザヤ43章に次のことばがあります。―主のことばー わたしが神だ。これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。(v.12-13) この預言者イザヤのことばは、天地万物を創造された神の絶対的主権を述べています。この聖句の前の11節には、「わたし、このわたしが主であり、ほかに救い主はいない」と明言されています。この絶対的主権者である神をイスラエルの民はどのように... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち228
私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。(2コリント5:16) この聖句の「私たち」とは、前節の「自分のために死んでよみがえられた方のために生きるため」とあるキリストの救いの恵みに生きるキリスト者を指しています。また「肉にしたがって人を知る」とは、前の新改訳第3版では、「人間的な標準」と訳されています。現代のことばで言うなら、「常識」と言うことになるでしょう。そうだとすれば、私たちが人間的な常識で考えるなら、キリストの愛は、罪人を愛し、罪人のためにいのちを捨てるという十字架の死と復活は、あり得ないことであり「非常識」だと言えるでしょう。そう... -
キリストにある喜び
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ4章4節 [聖書]ルカ15:1〜10 昨日は、みなさまから祝福していただき、結婚式を挙げることができました。優子姉は初めての経験であり、私としては、残りの人生に新たな希望が与えられ、あらためて主と主の教会に仕える思いを与えられ、感謝しています。 私は、朝目覚めると、いつも新しいいのちと、この存在に感謝し、主を讃えて祈ります。22日、結婚式一週間前の土曜日に、私が所属する写真クラブで写真講座が開かれ、ゲストの講師が、講座の中で「存在を切り取り、表現するのが写真である」と存在と言うことばを強調し、参加者全員が感動しました。また、先週木曜日の午後、堤長老と、優子姉と私の三人で... -
自らを献げる信仰
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ12:1〜2 私たちは今、キリストの愛によって新しいいのちを与えられ生きています。 私にとって大切なお方がいつもともにおられるって、素晴らしいことです。 それがこの世の社会における人間関係においてもそうであるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。使徒パウロが「愛がないなら私は無に等しい」と言われたことをヒシヒシと感じています。 愚かな無に等しい私が、キリストの愛によって70過ぎまで生かされ、今も牧師としてここにいます。今、ちょっとした試みの中にありますが、ある意味、背筋がピリッとした... -
救い主の誕生を前に
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。わたしは聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだる人とともに住む。イザヤ57章15節 [聖書]イザヤ57:11-16 私たちは今、「みことばの光」を通してイザヤ書を通読しています。不信仰な神の民に対する神のさばきが語られ、人に頼るのではなく、絶対的主権者である神にのみ信頼すべきことを告げ、差し迫る脅威に立ち向かうように繰り返し告げられるのですが、結局は神の怒りに触れ、国が滅亡してしまうのです。これだけはっきりした歴史的前例があるのにも関わらず、私たちは、自分の事でさえ、神さまに委ねることができずに、思い煩いや心配に心が支配され、神を後回しにすることがなんと多いこと... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち209
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17) この秋、10月と11月の2回に分けてPBA(太平洋放送協会)のテレビ番組、『ライフ・ライン』で、私の兄と教会の長老、そして私の3人の写真活動と信仰の証が放送されました。挫折を味わい、苦しみもがいた過去のことを話すのは、少しばかり辛い思いもありましたが、とてもよく編集されていて、安心して観ることができました。というのは、今はキリストにあって、新しいいのちが与えられ、毎日が平安と希望で喜びに満ち溢れているのに、かつての私は、自分の力で幸せをつかもうと、あらゆる欲望を自分の神として人を傷つけ、自分自身をも... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち204
「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13) 今回は、私が毎朝一日も欠かさず、朝の祈りとともに、『今朝のみことば』と題して、わずか数人の方に限定配信させていただいている内容を、この「アントニオいのち」でも配信させていただきます。・私を強くしてくださる方がいつも一緒なら、スポーツの世界なら間違いなく金メダルを取れるし、芸術の世界なら最高峰の賞を獲得できるでしょう。では、その強くしてくださる方とはだれか。それは、十字架の死を打ち破り、私たちを罪の滅びから贖い出し、三日目によみがえり、神の右に着座されたキリスト・イエスご自身です。救い主キリストが私たちの名トレーナー、名伯楽(優れた指導者)なのです... -
主の栄光のために
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。ピリピ2章13節 キリストにあって迎える朝がどんなに爽やかで希望に満ち溢れているかを体験されているでしょうか。それは「そんな気がしているだけ」ではなく、キリスト者の確信です。確かに、「外なる人は衰えても、内なる人が日々新しくされている」のを実感しているから言えるのです。「みことばの光」は先週末からピリピ書に入りました。パウロの「獄中書簡」の一つで、パウロがローマの獄中から、裁判の結果次第では死刑になるという状況で書かれたものです。そして、その手紙がなんと『喜びの書』と言われる「いつも主にあって喜び、喜べ」(4:4)というテーマで記されているのです。...
1