2024年7月– date –
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神を信じて生きるとは
説教要約聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ローマ10章11節 聖書箇所/第一サムエル31章1節〜13節 本日は第一サムエルの最後の章から、主に油を注がれて王になったサウルと、主に愛された息子のヨナタンと二人の兄弟たち、サウル王一家の悲惨な最期から考え学ばせていただきます。虚しく響く記事(節)の一つひとつに、このサムエル記全体に登場する一人ひとりの言動とその結末の集大成のようなものを覚えさせられ、彼らが登場する場面場面で、私ならどうしていただろうかと考えさせられます。つまり、神に信頼して行動するその信仰とはどんなことなのかということです。 1.登場人物のその信仰によって これまでも繰り返し確認しま... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち192
アントニオいのち聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11) 「この方」とは、十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い出してくださったキリストを指しています。 また旧約聖書の詩篇において、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」と歌われています。これは「真実な神のみことば」を指しています。昨年6月、青森において写真愛好家の70代のご夫妻が、山菜取りで入山して遭難し、懸命な捜索もむなしく、一週間後にご遺体で発見されました。山に詳しく、山菜取りのベテランとのことでした。私自身もまた、道に迷うことがしばしばあります。けれども、「聖書のことば」がわが道の光となり、私を助け出してく... -
あのとき彼がいなかったら
説教要約ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。」第一サムエルニ5章14節 『ぶれない信仰』と年間テーマを掲げ、「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」との聖句で半年を経過しました。私たちは今、試みられています。私自身の生き方が今一度厳しく問われているところです。しかし、幸いなことに、主からの慰めと励ましがあり、信仰の希望は少しも変わりません。私たちの人生には、「もし、このことがなかったら、あのことがなかったら」と、思い悩むことがよくあることです。私自身は、本日の週報の『いのちのパン』に掲載しましたが、詩篇73... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち191
アントニオいのち「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この詩篇のみことばは、今から38年前のお正月に、京都のビジネスホテルの一室で、キリスト者として神学校への献身を求め、主のみこころを求めて祈っていたときに、閃きのように与えられたものです。あれからすでに38年が経過しました。37歳で神学校を卒業し、ふるさと青森で伝道者としての働きを始め、68歳のときに妻に先立たれ、70を過ぎた今も現役として働きを続けています。愚かで失敗だらけの牧会生活ですが、苦難の中にあるとき、不思議とこのみことばに戻され、「主が私を諭して導き、栄光のうちに受け入れてくださる」という確信が与えられるのです。残された人生があとどれ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち190
アントニオいのち「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。(1コリント13:2) これは、『愛の章』と呼ばれる有名な使徒パウロのことばです。キリスト者であれば、誰でも捕まえて投獄するという意気に燃えていた迫害者サウロが、キリストとの出会いによって、神の愛を世界に伝える宣教者に変えられるのです。有名なパスカルの『パンセ』の中に「神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう」とあります。ただ知っていると言うのと神を愛し、その愛に生きるのとでは雲泥の差があります。教会の迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられたパウロ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち189
アントニオいのち『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2コリント5:17) 先日、撮影取材を兼ねて信仰を共にする写真仲間と十和田湖・奥入瀬渓流へとカメラを持って出かけた。朝4時半に出発し、戻ったのは夕方だった。ヘトヘトに疲れたが、目に入った大自然は、まさに神の創造の世界で、その雄大な自然の色彩と光、空気感に圧倒され、見るものすべてが新しい感覚にされている自分に気づかされた。まさに「見よ、すべてが新しくなりました」を実感させていただいたのだ。ネイチャーフォトは得意ではない私だが、今回ばかりは切り込み方が違っていた。奥入瀬の水の流れに、いのちの躍動を感じ、森林の木漏れ日か...
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