2025年1月– date –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち219
“ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことでしょう。”(雅歌7:6より) これは、ダビデの子、賢者ソロモンの雅歌の一節です。『雅歌』とは、英語訳では、「Song of Songs]とされ、『歌の中の最も優れた歌』という意味です。言い換えれば、「雅やかな歌」と言えるでしょう。神とイスラエルの関係を、愛する人との関係になぞらえて、その恋の切なさ、愛の喜びを歌っているのです。この節の「あなたはなんと美しく、麗しいことよ」とは、どんなに美しい女性が多くいたとしても、あなただけが私の最も愛する人であり、あなたを恋慕うその思いは、私の喜びとなり、心の潤いとなると歌っているのです。これは、現代に適用するなら、救い主キリストと教会の関係であると... -
自らを献げる信仰
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ人への手紙1章1節~2節 本年度の年間主題と聖句が決まりました。本日の説教タイトルが年間主題となります。主題聖句は、ロマ書12章1節の「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」です。すなわち、『自らを献げる信仰』を念頭において、あわれみ豊かな主イエスとともに、心を一つに前進しようという私たちの心の願いです。 先週から私は眠られぬ夜を過ごしています。思うことが多く、なぜか眠れないのです。雑多な... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち218
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13) この聖句を思うとき、昔読んだことのあるアンドレ・ジットの『狭き門』という小説を思い起こします。「狭き門」というと、いつの時代も受験生にとっては難関をイメージするでしょう。しかし、主イエスが言われた「狭き門」とは、「永遠のいのちに至る門」であり、「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる」という、天の神の溢れるばかりの恵みであることを教えているのです。今は牧師として生きている私は、かつては落ちこぼれ少年で、何をやっても中途半端な人間でした。挙げ句の果てには大きく道を外し、警察に補導されることしばしば、母の悲しみ... -
自らをささげる信仰に
エリヤをとおして言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。第一列王記17章16節 [聖書]ルカ4:22〜30 新年もすでに第三主日を迎えました。先週の役員会では年間主題と聖句を決めきれませんでした。先週水曜夜の祈祷会で、そのことを覚えているとき、私は、本年の主題と聖句は、掲げて昌和するだけではなく、実際に私たちがそれに向かって、互いに自らが「信仰の行いとして」前に踏み出すような決心でありたいと願わされています。そこで教えられたのは、イエスの宣教のはじめの出来事が記されている現在通読しているルカの福音書4章です。ナザレで育った主は、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と公生涯を開始されます。(cf.マルコ1... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち217
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(2コリント1:4) ある人は、「人生は苦痛の連続」と言います。一生懸命、真面目に生きても、それが報われず、喪失感に陥ることがしばしばあります。しかし、私たちには、キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちたお方がともにおられるのです。パウロはこう続けます。「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」(v.5)と。キリストの苦難は、私たちを罪の苦しみから救い出し、キリストにある新しいいのちへと導くためなのです。なんと素晴らしい愛と恵みでしょう。私自身、今も自らの弱さのゆえに失敗し、失意落胆することがあります。... -
イエスの宣教の初めに
聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」ルカ3章22節 [聖書]ルカ3:1〜22 先週は、バプテスマのヨハネと主イエスの不思議な誕生と、その経緯についてお話ししました。その中で、強調したのは、「神にとって不可能なことは何もありません」ということと、マリアの「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」との純真で素晴らしい信仰でした。 私たちは自分を取り巻く現実とその状態から自分で結論を出してしまうことがしばしばです。しかし、全能の神が事を行うときには、いつでも奇跡がともなうことを覚えさせられるのです。 先週、愛と... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち216
しかし、主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。(2コリント12:9) 使徒パウロには、自らが「肉体のとげ」と形容するほどの厳しい病を抱えていました。トゲとは、本来、鋭く尖った木の槍を指し、それが「とげ」を意味するようになりました。彼が言う肉体のとげとは、まさに「主の十字架」のようであると言えるでしょう。彼は苦しみの中で、このとげを去らせてくださいと三度、主に願ったのです。しかし、主の答えは、「私の恵みはあなたに十分である」との冒頭のことばです。私は今、インフルエンザに罹患し、夜もうなされるほどの体調不良にあります。しかし、感謝なことに、うなされている間もみことばのブロッ... -
その通りになりますように
マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」ルカ1章38節 [聖書]ルカ1:26〜38 新年第一主日の礼拝をおささげします。青森も近年にない大雪で、お正月は身動きの取れない状態でしたが、ようやく除雪が入り、またフロ友さんが教会の周りの雪を綺麗に片付けてくださり、スッキリ爽やかな新年第一主日を迎えることができました。これも神さまの恵みと感謝しています。さて、新年早々、昨年のクリスマスに続き、マリヤの救い主誕生から学ばせていただきます。 キリスト教文化の国々の年末の挨拶は、Merry Christmas and A Happy New Yearらしいので、新しい年も救い主イエスの誕生の意味と、その目的をしっかり... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち215
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ7:12) 新年二日目の早朝、まだ布団に入って寝ていた時間に、家の外で車が雪にハマって身動き取れないでいる様子がエンジンの回転音やタイヤの空回りの音で知らされた。窓の外を見ると大雪で、一台のタクシーがスタックして身動き取れないでいた。外は大雪で、しかも氷点下、「どうしたものか…。」と考えていたら、私の心は、冒頭のみことばに押し出され、すぐに起き上がり、厚着をしてスコップを手に外に出た。男性がもう一人外に出ていたので、二人がかりで雪を掘り起こし、車を押して、ようやく脱出させた。運転手さんは、「こんな朝早く、ほんとうにありがとうご...
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