アントニオいのち– category –
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「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(1ヨハネ5:4)
This is the victory that has overcome the world, even our faithPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち59 「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(1ヨハネ5:4)This is the victory that has overcome the world, even our faith 29年前、我が家に四人目の末っ子が誕生したとき、私たち夫婦は迷わずに、その子を「勝利」(victory)と名付けました。 その根拠は、冒頭に掲げた聖句です。世の困難や試練に打ち勝つ、克服するが、overcomeという動詞です。 今日のコロナ禍も私たちの前に立ちはだかる大きな試練です。また自分の心の弱さからくる誘惑や試練との戦いがあるでしょう。 そんな世にあって、十字架の死に勝利された復活のキリストを信じるなら、「死は勝利に呑み込まれた。」(1コリント15:54)と確信するのです。... -
「人が友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)<Greater love has no one than this.>
Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち58 「人が友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)<Greater love has no one than this.> 森鴎外の『最後の一句』に、さらし者にされ、斬罪に処せられる桂屋太郎兵衛のために、16歳の長女のいちが、いのちを捧げる覚悟で妹たちを連れて奉行所に願い書を差し出すというくだりがあります。 厳しい取り調べにも動ぜず、いちは、「父を助けてくださるなら私は死ぬ覚悟はできています」ときっぱりと答えることで、役人一同が、彼女の刃のように鋭い最後の一句に胸を打たれ、太郎兵衛を死罪赦免とするのです。 これを著者は、「マルチリウム」(キリスト教の殉教)と記しているのが... -
「あなたがたは向きを変えて出発せよ」(申命1:7)<Break Camp and advance!>(NIV)
Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち57 「あなたがたは向きを変えて出発せよ」(申命1:7)<Break Camp and advance!>(NIV) 新年度、私たち主にある「あすなろ福音教会」では、冒頭の主題を掲げ、「神にあって私たちは力ある働きをします。」(詩篇108:13)を年間聖句として、新たな一歩を踏み出すように導かれました。 「向きを変えて」とは、原語と文脈から、移動のための「備えをすること」、天幕を畳むことを意味し、「出発」とは「くいを抜く」で、旅をする・移動することを意味します。 あすなろ教会は、イスラエルの荒野の40年と同じように、すでに一世代を超え、次の世代への移行期にあります。 神の民が約束の地に入るためには、神がモーセを通して与えた契... -
幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。(箴言29:18)<Where there is no vision, the people perish;>(KJV)
Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち56 幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。(箴言29:18)<Where there is no vision, the people perish;>(KJV) 欽定訳聖書では「幻のない民は滅びる」と訳せるでしょう。 昭和の高度成長期、学生運動が盛んでした。 その善し悪しは別として、当時の若者たちは、既存社会に対して、自らのビジョンを掲げて一致団結して抵抗したのです。 日本社会が豊かになり安定期に入ると、次世代の若者たちはその豊かさに「事なかれ主義」に甘んじるようになりました。 現代の若者たちはどうでしょう。 「IT社会」の情報過多の中で、自らの意志さえも情報操作されるような危険性を孕んでいるのです。 北海道大学の初代教頭であったクラーク博士... -
主に感謝し、御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。(詩篇105:1)<Give praise to the Lord, proclaim his name; make known among the nations what he has done.>
Pastor Macky 68の『いのちのパン』アントニオいのち55 一年の歩みを終え、次週は新年を迎えています。 「アントニオいのち」が一週も休まずに配信することができました。 今は天国の妻は、No.11まで知っていましたが、あとの44回は、妻不在の中で、一人のキリスト者として、また牧師として、日々のみことばを思い巡らしつつ「What he has done for me?」と、私に対する主の恵みを数えてみました。 悲しみの中にありながらも、主が私に為してくださった慰めと具体的な励ましは数えきれないほどでした。 コロナ禍で閉塞感漂う社会の中で、私個人としては、聖霊なる神と、心の中に生きている妻と共に「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝」できる生活を過ごせていたのです。 主が...