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終末の世にあって2 [聖書]マタイ24:27-36
説教要約天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。マタイ二四章三五節 終末の世にあって2 [聖書]マタイ24:27-36 ロシアのウクライナ軍事侵攻は、欧米諸国をも巻き込み、長期戦の様相を呈しています。 また不穏な動きを見せている北朝鮮も核弾頭ミサイルの開発に力を入れ、世界全体が戦争のために莫大な軍事費を投入し、世界の平和ではなく、世界の破滅へと向かっていることが、神のことばである聖書から覚えさせられています。 昨日の通読箇所は、詩篇121篇の「私の助けは主から来る」で有名な都上りの歌でした。 世が如何なる状況になろうとも、私たちキリスト者には主の助けがあります。 そして、私たちの交わりの中にこそ神の平和がある... -
「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。」(詩篇133:1)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち75 「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。」(詩篇133:1) <”How good and pleasant it is when God’s people live together in unity”> 未だ高止まりが続くコロナ禍にあって、先日、「青森県放送伝道協力会」の総会が対面で開催され、久しぶりに諸団体、諸教会の兄弟姉妹とお会いできました。 いつまでも若いと思っていた私も古希を迎え、大きく天国に前進しました。 そんな心理も働いたのか、懐かしいお顔を拝見して、すぐに詩篇133篇が心に浮かんだ。 みことばに生きる私たちは、キリストにある交わりと祈りの中にあってこそ、大きな慰めと力を得、主にあって一つ(... -
「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさせられています。」(2コリント4:16)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち74 「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさせられています。」(2コリント4:16) この度のイースター礼拝では、昨年の受難週に天に召された妻めぐみと先に天に召された教会員を偲び、合同記念礼拝とさせていただきました。 先人の信仰の生涯を覚えるとき、不思議と平安が与えられ、新しいいのちの希望がパァーッと青空が広がるように心いっぱいにみなぎってくるのです。 冒頭の聖句の「ですから」の文脈は、主をよみがえらせた父なる神が、私たちをもキリストとともによみがえらせ、御前に立たせてくださることを指しています。 いつまでも若いと思っていた私も数えで七十になり... -
福音の恵みによって [聖書]1テサロニケ5:9〜18
説教要約いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。第一テサロニケ 五章十五節〜十八節 福音の恵みによって [聖書]1テサロニケ5:9〜18 本日は教会暦でイースターです。 今朝の礼拝では、先に天に召された兄弟姉妹を偲びつつ、記念礼拝とさせていただいております。 昨年の受難週にめぐみ姉が天に召され、ちょうど一周忌を迎えました。 あすなろ福音教会の教会員として天に召された方は、姉妹六名を数えます。 その他に、キリスト者として天に召された兄弟姉妹をも私たちは覚えさせていただいております。 主は、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死ん... -
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち73 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25) 今私たちは受難週を過ごしています。 世は、未だ続くコロナパンデミックと悲惨な戦争に憂いています。 尊いいのちが失われていく現実に「神さま…!」と叫びたくなります。 教会暦の受難週とは、王となり、救いの君と期待されたイエス・キリストが罪人とされ、抵抗することもなく、むち打たれ、人々に嘲られ、十字架上で手に釘を打たれ、わき腹を槍で突き刺されて処刑された出来事です。 全能の神の御子が抵抗することなく死んで葬られるのです。 世は今、悪と罪に満ちています。キリストが十字架刑に処せられた時代も現代と同じで... -
御手の助けによって [聖書]詩篇119:169-176
説教要約あなたの御手が私の助けとなりますように。まことに、私はあなたの戒めを選びました。詩篇一一九篇一七三節 御手の助けによって [聖書]詩篇119:169-176 教会暦では、本日から受難週に入ります。 昨年と比べると二週間ほど遅れて17日にイースターを迎えます。 めぐみ姉は、昨年の受難週の受難日の朝に天に召されました。 私にとって、昨年の受難週とイースターは、これまでになく意味深いものとなりました。 「キリストと共に十字架に死に、キリストと共に生きる」(ガラ2:19-20)ことを、妻の死によって現実的に知ることができたからです。 神のことばは真実であり、永遠のいのちを保証するものであることを私たちは信じています。 先週末まで通読していた詩篇119篇のヘブル語... -
「死は勝利に呑み込まれた。」(1コリント15:54)<”Death has been swallowed up in victory.”>
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち72 「死は勝利に呑み込まれた。」(1コリント15:54)<”Death has been swallowed up in victory.”> ウクライナにおいて、プーチン・ロシアによる残虐な殺戮が行われている。 多くの尊いいのちが無残に奪われている現実に、ただただ唖然とさせられる。 今から二千年ほど前、神の御子イエス・キリストは、敗北者として十字架でさらし者にされ、人々に嘲られ処刑された。 悪の力に屈服させられ、敗北者としての無残な姿がそこにあったかのように見えた。 しかし、それで終わりではなかった。 悲しみと虚しさの中にあった弟子たちに驚愕の出来事が起こった。 それは復活の主との再会という事実である。 「死は勝利に呑まれたり」とは、イザ... -
主に従うことの幸い [聖書]詩篇119:33-40
説教要約私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。詩篇一一九篇三五節 主に従うことの幸い [聖書]詩篇119:33-40 昨年のイースターは4月4日でした。 その前週は受難週で、妻めぐみが受難日である4月2日の朝8時17分に夫の私が見守る中、天に召されました。 昨日は、その一周忌を迎え、家族で生前のお母さんを偲び、神さまの恵みを覚えさせていただきました。 めぐみの信仰の生涯を一言で証言するなら、「いつも喜んで主に仕え、教会に仕えた生涯だった」と言えると思います。 また、本当に主に愛されていた姉妹だったと思います。 私はこのところ、「みことばの光」を用いての聖書通読から、一つのテーマに導かれています。 それは、「キリスト... -
「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。」(詩篇116:15)<Precious in the sight of the LORD is the death of his faithful servants.>
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち71 「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。」(詩篇116:15)<Precious in the sight of the LORD is the death of his faithful servants.> 昨年の受難週の受難日に、妻が天に召されて一年になろうとしている。 31日から翌4月1日と、二日間、妻のベッドの傍に寄り添って夜を過ごした。 妻の耳元で祈りと讃美を繰り返し、恵みの主に妻を委ねていた。 苦難の中にあってともにおられる主が、私たちに平安を与えてくださり、新たないのちの希望を確信させてくださった。 主とともに歩んだ聖徒たちの死は、主の目に尊いとみことばは教えている。 神を信頼し、その生涯を全うされた多くの聖徒たちが、雲のように私たちを取り巻いている... -
神を愛するとは 【聖書】1ヨハネ5章3-4
説教要約神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(新政訳第三版)第一ヨハネ五章三節〜 神を愛するとは 【聖書】1ヨハネ5章3-4 昨年の今頃、入院中のめぐみ姉は、死の縁をさまよう重篤な状況にありました。 ちょうど受難週に入った時期です。 先週、そんな天国のめぐみを覚えながら、「愛すること、愛されること」について思い巡らしていました。 私をとことん愛してくれた妻が先に天国に行き、夫の私がまだ地上に生きている。 私が今生きているのは、私を愛してくれた妻の愛に免じて、主が私をあわれみ寛容を示してくださっているのは間違...