アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち106
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」(ガラテヤ5:22) 「イエスは主です」と告白する者の心に宿る神の御霊である聖霊は、信仰者を人間本来の肉の思いから解放し、キリストにある自由を与えてくださいます。それゆえに、キリスト信仰を持って人格が変えられ、周囲が驚くということはよくあることです。この私もその一人です。冒頭の聖句を記したパウロは、かつてはキリストに敵対し、その道の者であれば、老若男女、誰でも捕らえて投獄する意欲に燃えるパリサイ派の律法学者でした。しかし、彼がダマスコ途上の眩しい光の中でキリストと出会ってから、その人生は180度変えられ、迫害者からキリストの宣教... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち102
「主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください。」(詩篇141:3) これは「ダビデの賛歌」の一節です。敵が罠を張って自分を貶めようと悪行を企てる中、自らも同じように、悪に向かって悪をもって敵対することのないように、「私の言動をお守りください」というダビデの真実な祈りです。「口は災いの元」と言いますが、心にある本音がポロリと出て、窮地に立たせられることはよくあることです。「人間は考える葦である」で有名なパスカルは、『パンセ』の中で、「わずかなことが我々を悲しませるので、わずかなことが我々を慰める」と述べています。私たちは、些細な言動で人を傷つけ、また小さなことで、大きな慰めを与えることもあるのです。口を制御する者は、自らの... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち100 「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1) <In the beginning God created the heavens and the earth.> 物事に行き詰まり、先が見えない時、人は「初心にかえる」という言葉を用いて、自らの出発点に立ち返り、もう一度、新たな一歩を踏み出すことがあります。しかし、すべてにおいて流動的でスピード化されたこの時代に、初心に立ち返ることはとても困難です。なぜなら、人々の初心そのものが不確定だからです。使徒パウロは、ギリシャの文化都市アテネの町が偶像の神々で溢れているのを見て、哲学者や知識人を前に、ある詩人の「私たちは神の中に生き、動き、また存在している」とのことばを引用し、神は人...
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◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち97
「あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:6) アンドリューマレーの『謙遜』という著書に、「人の高慢こそ、キリストの贖いを必要とする最も大きな罪である」と記してあります。このことを箴言では、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(16:18)と警告を与えています。したがって、神が私たちに望んでおられることは、神の前にへりくだり、神に信頼して歩むことです。これを別の言い方では、「神を恐れる」、あるいは「神の国と神の義を第一にする生き様」と言えるでしょう。人は様々な思い煩いによって、心が乱れ、神から離れてしまうのです。ペテロは、この同じ箇... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち96
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28) キリストの愛と恵みによって神の子とされた私たちキリスト者は、「すべての事がともに働いて(all things works together)益(good)となることを知っている(オイダメン=体験を通して事実として知る)」とパウロは述べています。貧困、苦難、突然の病など、様々な困難が私たちを襲ったとしても、それらがともに働いてプラスに変えられるというのです。牧師の私もそのことを体験して知っています。小児結核での長期入院、道を外した少年時代、事故での救急搬送、経済的困難、妻の死、コロナ罹患など、数え上げたらキリが... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち94
「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」 (ヨハネ21:22) 「あなたはわたしを愛するか」と三度繰り返し復活の主に問われたペテロは心を痛めて、「主よ。あなたはすべてをご存じです」と言い、主への愛を伝えます。しかし、人間は弱く愚かなもので、ペテロは自分のすぐ後ろにいたもう一人の弟子(ヨハネ)が気になり、「主よ。この人はどうですか」と問うのです。これは、今も変わらない私たち人間の弱さです。人のことが気になり、自分を見失うということがあるのです。しかし、愛と恵みの主は、弱く罪深い「私という存在のため」に十字架の愛を示され、溢れるばかりの恵みを注い... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち93
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17) 明日から私が所属する写真クラブの写真展が開催されます。自分が抱いている心象を光と影の撮像で表すことを「写真表現」といいます。昨年の春に妻が天に召されてから、私は過去の出来事を、キリストの光に照らして振り返り、それを神の恵みとして受け入れられるようになりました。古きは新しい光にのまれて過ぎ去り、追憶となって神の恵みに変えられるのです。それは、私の写真表現に一つの気付きが与えられたと言っても良いでしょう。今月末には、「追憶」というタイトルで県展にも作品を応募します。70を前にして... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち90
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1) 今の世は、心騒ぐ事で溢れかえっています。すべての事が他人事では済まされない身近な事として押し迫っているのです。「災禍、病気、争い、生活、家族の事」など、真面目に考えれば考えるほど、心配事でいっぱいになります。イエスさまが弟子たちに、「あなた方は心を騒がせるな」<Don’t let your hearts be troubled!>と仰せられた時代も、今の世と状況がよく似ています。主が言われた次のことば、「神を信じ、またわたしを信ぜよ」が人間にとって最も大切なのです。すなわち、主が十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い、永遠のいのちへと導き入れてくださった神の恵み... -
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せ
ず、高慢になりません。(1コリント 13:4)Pastor Macky 69 の『いのちのパン』アントニオいのち 89 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。(1コリント 13:4) この聖句は、使徒パウロによって記され、「愛の章」として多くの人に知られています。 ある牧師が、「愛」という主語を、「私」、つまり自分の名前に置き換えて朗読し、自己吟味してみるとよいでしょうと教えてくれました。 それで、自分の胸に手を当てて、「私(昌利)は寛容です。私は親切です。」と声に出してみると、「ああ、全部この教えの反対だ…」と自分に幻滅させられるのです。 でも、この真実な愛の性質は、私たちの救い主イエス・キリスト御自身のご性質であり、父なる神御自身のお姿なのです。 かつて使徒パ... -
「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠
のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」(ヨハネ 6:27)Pastor Macky 69 の『いのちのパン』アントニオいのち 88 「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」(ヨハネ 6:27) 「いのちに至る食べ物」とは何か。 これこそ『いのちのパン』といわれる聖書のみことばです。 使徒パウロは、愛する我が子と称するテモテに、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと、矯正と義の訓練とのために有益です」(2 テモテ 3:16)と書き述べています。 冒頭のヨハネ6章には、主が五つのパンと二匹の魚で男の数だけて五千人を満腹にさせ、さらに余ったパンが12のかごにいっぱいになったという、まさに「神にとって不可能なことは一つもない」といわれる奇蹟が記されていま...