アントニオいのち– category –
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「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち80 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5) Commit your way to the LORD; 若い時の私は、「あれもしたい、これもしたい!」とやりたいことだらけであった。 ボクシング、モータースポーツ、音楽、写真、釣り、幸せな結婚など、数え上げたらキリがないほどだった。 それが、22歳でクリスチャンになってから、キリストを信頼し、進むべき道を主に委ねるようになった。 それから、不思議な方向へ道が開かれ、結婚してから、大学で学び、プロボクシングのカムバック戦でKO負けの後、さらに神学校で学び、ボクサーから牧師になっている。 牧師になってからは、好きなギターは主を賛美するた... -
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち79 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7) 「病は気から」ということばがあります。 心配や思い煩いは、心を塞ぎ、重いストレスは文字通り病気の要因ともなります。 そんなとき、キリスト者には大きな恵みと特権があります。 心にある心配事を具体的な祈りと願いに変えて、神に知っていただくのです。 つまり、すべてを神にお任せするのです。 そうするなら、私たちの執り成し手である主なるキリストが、人... -
「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」(箴言19:21)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち78 「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」(箴言19:21) 「失敗は成功のもと」という名言があります。 探究心が強く、根気強い人にとっては確かにそうでしょう。 しかし、良かれと思う計画が失敗に終わる時、人の心は大きな喪失感に支配されます。 人は成功することよりも失敗することの方がはるかに多いのです。 そこで、「ハッ!」と気づかされることは、「主の計画こそが実現する」という信仰です。 全知全能の神は、思いも寄らない人々を御自身の計画遂行のために用いられるお方です。 出エジプト記ではパロ王の心をあえて頑なにし、バビロン捕囚後70年のエルサレム帰還では、ペルシャのクロス王... -
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち77 このところ有名人の自死が相次いで報道されています。 人の心の内は、表向きでは分からないものです。 人はだれにでも悩み苦しみはあるものです。 大切なことは、その苦悩とどのように向き合うかです。 聖書は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」とグッドニュース(福音)を伝えています。 「キリストのうちにある」(in Christ)とは、キリストを心に信じ受け入れ、キリストと共に生きることを意味します。 十字架の死と復活のキリストの内にこそ、新しいいのちの希望があるのです。 「すべてが新しく」とは、時とともに古く廃れる新しさではなく、日々更新される、湧き出る泉のような新し... -
「あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:22)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち76 「あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:22) <”You must follow me”>これは、復活の主がペテロに言われたことばです。 三度、「あなたはわたしを愛しますか」と主に問われたペテロは、心を痛めて「私があなたを愛していることは、あなたはご存知です」と答えるのですが、ペテロの目に、主が愛された弟子のヨハネが見えたとき、ペテロは彼のことが気になり、主に向かって「この人はどうですか?」と問うのです。 すると主は、「あなたは、わたしに従いなさい」と厳しくペテロに言われました。 私の信仰生活の中でも、気づかないうちに他の人のことが気になり、自分はこれで良いのかと疑心暗鬼になり、落ち込むことがありま... -
「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。」(詩篇133:1)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち75 「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。」(詩篇133:1) <”How good and pleasant it is when God’s people live together in unity”> 未だ高止まりが続くコロナ禍にあって、先日、「青森県放送伝道協力会」の総会が対面で開催され、久しぶりに諸団体、諸教会の兄弟姉妹とお会いできました。 いつまでも若いと思っていた私も古希を迎え、大きく天国に前進しました。 そんな心理も働いたのか、懐かしいお顔を拝見して、すぐに詩篇133篇が心に浮かんだ。 みことばに生きる私たちは、キリストにある交わりと祈りの中にあってこそ、大きな慰めと力を得、主にあって一つ(... -
「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさせられています。」(2コリント4:16)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち74 「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさせられています。」(2コリント4:16) この度のイースター礼拝では、昨年の受難週に天に召された妻めぐみと先に天に召された教会員を偲び、合同記念礼拝とさせていただきました。 先人の信仰の生涯を覚えるとき、不思議と平安が与えられ、新しいいのちの希望がパァーッと青空が広がるように心いっぱいにみなぎってくるのです。 冒頭の聖句の「ですから」の文脈は、主をよみがえらせた父なる神が、私たちをもキリストとともによみがえらせ、御前に立たせてくださることを指しています。 いつまでも若いと思っていた私も数えで七十になり... -
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち73 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25) 今私たちは受難週を過ごしています。 世は、未だ続くコロナパンデミックと悲惨な戦争に憂いています。 尊いいのちが失われていく現実に「神さま…!」と叫びたくなります。 教会暦の受難週とは、王となり、救いの君と期待されたイエス・キリストが罪人とされ、抵抗することもなく、むち打たれ、人々に嘲られ、十字架上で手に釘を打たれ、わき腹を槍で突き刺されて処刑された出来事です。 全能の神の御子が抵抗することなく死んで葬られるのです。 世は今、悪と罪に満ちています。キリストが十字架刑に処せられた時代も現代と同じで... -
「死は勝利に呑み込まれた。」(1コリント15:54)<”Death has been swallowed up in victory.”>
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち72 「死は勝利に呑み込まれた。」(1コリント15:54)<”Death has been swallowed up in victory.”> ウクライナにおいて、プーチン・ロシアによる残虐な殺戮が行われている。 多くの尊いいのちが無残に奪われている現実に、ただただ唖然とさせられる。 今から二千年ほど前、神の御子イエス・キリストは、敗北者として十字架でさらし者にされ、人々に嘲られ処刑された。 悪の力に屈服させられ、敗北者としての無残な姿がそこにあったかのように見えた。 しかし、それで終わりではなかった。 悲しみと虚しさの中にあった弟子たちに驚愕の出来事が起こった。 それは復活の主との再会という事実である。 「死は勝利に呑まれたり」とは、イザ... -
「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。」(詩篇116:15)<Precious in the sight of the LORD is the death of his faithful servants.>
アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち71 「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。」(詩篇116:15)<Precious in the sight of the LORD is the death of his faithful servants.> 昨年の受難週の受難日に、妻が天に召されて一年になろうとしている。 31日から翌4月1日と、二日間、妻のベッドの傍に寄り添って夜を過ごした。 妻の耳元で祈りと讃美を繰り返し、恵みの主に妻を委ねていた。 苦難の中にあってともにおられる主が、私たちに平安を与えてくださり、新たないのちの希望を確信させてくださった。 主とともに歩んだ聖徒たちの死は、主の目に尊いとみことばは教えている。 神を信頼し、その生涯を全うされた多くの聖徒たちが、雲のように私たちを取り巻いている...