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主に選ばれた宝として【聖書】詩篇135篇4節
説教要約主はヤコブをご自分のために選び、イスラエルをご自分の宝とされた。 (詩篇135篇4節) 本日の中心聖句のキーワード、「ヤコブ、イスラエル、ご自分の宝」に、私はすぐにイザヤを通して語られた「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:3)との主のことばを思い起こします。 また、同時に、主は「高価で尊い」とその愛を示されたヤコブ(イスラエル)に対して、「虫けらのヤコブ、イスラエルの人々」とも仰せられ、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と、天地万物の主権者である主が、弱く小さな者を敵の手と一切の災いから救い出されることを明言しておられるのです。 先週の祈祷会では、詩篇120篇から134篇までの「都上り... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち93
アントニオいのちだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17) 明日から私が所属する写真クラブの写真展が開催されます。自分が抱いている心象を光と影の撮像で表すことを「写真表現」といいます。昨年の春に妻が天に召されてから、私は過去の出来事を、キリストの光に照らして振り返り、それを神の恵みとして受け入れられるようになりました。古きは新しい光にのまれて過ぎ去り、追憶となって神の恵みに変えられるのです。それは、私の写真表現に一つの気付きが与えられたと言っても良いでしょう。今月末には、「追憶」というタイトルで県展にも作品を応募します。70を前にして... -
勝利の主を信じて【聖書】ヨハネの福音書16章33節
説教要約「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネの福音書16章33節 今週の週報表紙の写真には、先週主日の午後に行われた「CS陶芸教室」の写真を掲載しています。天地万物を造られた主こそ、私たちを造られた名陶器師であり、私たち一人ひとりは、その作品です。 その器をどのように用いるかは、主のみこころに委ねられているのです。 したがって、御子イエスが、苦難の十字架の道を歩まれたとき、「あなたのみこころのままに」と自らを父なる神にお委ねになった御思いこそ、私たちの信仰の正しい在り方なのだと思います。 造られた器が、「僕はこんなのは嫌だ」と駄々を捏ねたら、陶器師は直ちにその器を壊してし... -
イエスわがいのち【聖書】ヨハネによる福音書14章1節〜7節
説教要約あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。ヨハネ14章1節 今、私たちが生きている社会は心騒ぐ出来事で溢れています。すべての事が他人事では済まされないごく身近な事としてわが身に迫っているのです。 「災禍、病気、争い、生活、家族の事」など、真面目に考えれば考えるほど、心配事でいっぱいになります。本日掲げた主題聖句のヨハネ14章1節「あなたがたは心を騒がせてはなりません。」と主が弟子たちに語られた時代も、今の世と状況がよく似ていました。ローマ帝国の支配下にあり、重税、病気、貧困、さらにはユダヤ与党であるパリサイ人、律法学者の高慢は、キリストの真理に敵対するものでした。神の民として真理を求めるほど気をもむよう... -
◯ Pastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち90
アントニオいのち「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1) 今の世は、心騒ぐ事で溢れかえっています。すべての事が他人事では済まされない身近な事として押し迫っているのです。「災禍、病気、争い、生活、家族の事」など、真面目に考えれば考えるほど、心配事でいっぱいになります。イエスさまが弟子たちに、「あなた方は心を騒がせるな」<Don’t let your hearts be troubled!>と仰せられた時代も、今の世と状況がよく似ています。主が言われた次のことば、「神を信じ、またわたしを信ぜよ」が人間にとって最も大切なのです。すなわち、主が十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い、永遠のいのちへと導き入れてくださった神の恵み... -
本当の愛を知って [聖書]1コリント 13:1-8a
説教要約愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。第一コリント十三章より 本当の愛を知って [聖書]1コリント 13:1-8a 先週の礼拝後に行われたカフェこいのにあの「写真講座3」は、馬の作品を出点したKくんも含めて11名の参加者がありました。 写真表現は「視点」が大切で、カメラを通して見た物をどう切り込むかという感性が問われます。 したがって、基本中の基本は、見て感じた物をカメラに収めること、つまり「シャッターを切らなければ何も始まらない」ということです。 今回の結果は、皆さん良いセンスを持っていて、「おお…」と思う写真がいくつかありました。 これからがとても楽しみです。 私たちクリスチャンの視点は、感謝なこと... -
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せ
ず、高慢になりません。(1コリント 13:4)アントニオいのちPastor Macky 69 の『いのちのパン』アントニオいのち 89 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。(1コリント 13:4) この聖句は、使徒パウロによって記され、「愛の章」として多くの人に知られています。 ある牧師が、「愛」という主語を、「私」、つまり自分の名前に置き換えて朗読し、自己吟味してみるとよいでしょうと教えてくれました。 それで、自分の胸に手を当てて、「私(昌利)は寛容です。私は親切です。」と声に出してみると、「ああ、全部この教えの反対だ…」と自分に幻滅させられるのです。 でも、この真実な愛の性質は、私たちの救い主イエス・キリスト御自身のご性質であり、父なる神御自身のお姿なのです。 かつて使徒パ... -
私たちの「いのちのパン」 [聖書]ヨハネ6:47〜57
説教要約「 ま こ と に 、 ま こ と に 、 あ な た が た に 言 い ま す 。 信 じ る 者 は 永 遠 の い の ち を 持 っ て い ま す 。 わ た し は い の ち の パ ン で す 。 」 ヨ ハ ネ 六 章 四 七 節 〜 私たちの「いのちのパン」 [聖書]ヨハネ6:47〜57 先週は礼拝の中で三上綾葉姉の洗礼式が執り行われました。 厳かな中にも一際溢れる喜びがありました。 それは、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」(ルカ 15:10)とあるように、天上では、めぐみ姉をはじめとし、先輩クリスチャンたちが、雲のように私たちを取り巻いて主の御名を讃えていたと思います。 霊において新しく生まれた綾葉さんは、みことばの乳によって成長し、いのちのパン... -
「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠
のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」(ヨハネ 6:27)アントニオいのちPastor Macky 69 の『いのちのパン』アントニオいのち 88 「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」(ヨハネ 6:27) 「いのちに至る食べ物」とは何か。 これこそ『いのちのパン』といわれる聖書のみことばです。 使徒パウロは、愛する我が子と称するテモテに、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと、矯正と義の訓練とのために有益です」(2 テモテ 3:16)と書き述べています。 冒頭のヨハネ6章には、主が五つのパンと二匹の魚で男の数だけて五千人を満腹にさせ、さらに余ったパンが12のかごにいっぱいになったという、まさに「神にとって不可能なことは一つもない」といわれる奇蹟が記されていま... -
湧き出るいのちの水 [聖書]ヨハネ 4:1〜15
説教要約イ エ ス は 答 え ら れ た 。 「 こ の 水 を 飲 む 人 は み な 、 ま た 渇 き ま す 。 し か し 、 わ た し が 与 え る 水 を 飲 む 人 は 、 い つ ま で も 決 し て 渇 く こ と が あ り ま せ ん 。 わ た し が 与 え る 水 は 、 そ の 人 の 内 で 泉 と な り 、 永 遠 の い の ち の 水 が 湧 き 出 ま す 。 」 ヨ ハ ネ 四 章 十 三 節 〜 湧き出るいのちの水 [聖書]ヨハネ 4:1〜15 本日の礼拝で三上綾葉さんが洗礼を受け、あすなろ教会のメンバーに加えられました。 キリストの十字架の血潮によって罪赦され、復活の恵みによって新しいいのちへと導かれました。 パウロは、これを「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いもの...