イエスわがいのち【聖書】ヨハネによる福音書14章1節〜7節

あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。ヨハネ14章1節
 今、私たちが生きている社会は心騒ぐ出来事で溢れています。すべての事が他人事では済まされないごく身近な事としてわが身に迫っているのです。

災禍、病気、争い、生活、家族の事」など、真面目に考えれば考えるほど、心配事でいっぱいになります。本日掲げた主題聖句のヨハネ14章1節「あなたがたは心を騒がせてはなりません。」と主が弟子たちに語られた時代も、今の世と状況がよく似ていました。ローマ帝国の支配下にあり、重税、病気、貧困、さらにはユダヤ与党であるパリサイ人、律法学者の高慢は、キリストの真理に敵対するものでした。神の民として真理を求めるほど気をもむような出来事でいっぱいだったのです。したがって、「心を騒がすな!神を信じ、またわたしを信じなさい」という主のことばは、主の決別説教の中心であり、続く主の説明にある「あなたがたのために場所を用意しに行く」は、「永遠のいのち」天の御国を、主が私たちのために十字架の苦難を通して備えてくださるという恵みの約束なのです。キリストこそ、私たちが求めるべき「道であり、真理であり、まことのいのち」であることを、再確認させていただきましょう。

1.何を第一にするかによって
 人の生き方には、それぞれの信条があります。それは有史以来、文明文化を問わず、世界人類すべてに共通するものです。それを聖書的に言えば、「神の似姿として造られた人(アダム)」だからです。ある伝道者が、「人」(アンセローポス)とは、「神を見上げて生きる存在」と言いました。したがって、何を神とするのかが問われるのです。
2.過越の祭りと受難週
 主が十字架に向かう受難の道は、奇しくもユダヤ人が出エジプトの神の恵みを記念して行う「過越の祭り」の週でした。「あなたがたのために場所を用意しに行く」と語られた主は、罪の奴隷として滅びの中にある私たちの贖いの代価として御自身を十字架にささげ、神と私たちの和解の道を開いてくださったのです。これが真理の道です。
3.イエスわがいのち
 この主の決別説教の中に、「知る」ということばが繰り返し登場します。4節の「知っている」(オイダ)は、体験を通して事実として知ることを意味し、7節は知識として「知る」です。どちらも大切ですが、私たちは、主の十字架の死と復活を歴史的事実として信じ受け入れ、聖霊によって、主がわが道の光、わがいのちであると告白するのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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