2022年2月– date –
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人生の完走目指して [聖書]2テモテ4:1-8
説教要約神にあって私たちは力ある働きをします。神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。詩篇一0八篇十三節 人生の完走目指して [聖書]2テモテ4:1-8 「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは、労苦と災いです。」(詩篇90:10) これは、〜神の人モーセの祈り〜と表題のある詩篇の一節です。 私は、この3月に誕生日を迎えて69歳になります。 幼少期には病弱でいつ死んでもおかしくなかった少年が初老となり、人生後半をキリストとともに走り続けています。 思いもよらなかった新型コロナに罹患し、発症して二日間は、高熱の他、血圧が二百を超え、死ぬほどの目に遭いました。 幸い、背後の祈りの力で、三日目から回復し、人生最後のコースに戻し... -
「恐れるな。虫けらのヤコブ…。わたしがあなたを助ける。」(イザヤ41:14)
<Don’t be afraid, you worm Jacob! >アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち62 「恐れるな。虫けらのヤコブ…。わたしがあなたを助ける。」(イザヤ41:14)<Don’t be afraid, you worm Jacob! > 今週の月曜日、血圧が高い中、朝から何度も外に出ることで、ヒートショックを起こしたのか、夕方になって急に悪寒がし、発熱し始めた。 頭も重いので、念のため夕方に地域外来・検査センターに出かけ、PCR検査の予約をした。 その夜一晩、頭が割れるように痛く、頭の中ではイザヤ書41章から43章の主とヤコブとのやりとりが繰り返し絵を見るように思い起こされた。 そして、「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:41)の聖句で平安が与えられ、「たとえこのまま召されても... -
ともにおられる神 [聖書]詩篇108篇13節
説教要約神にあって私たちは力ある働きをします。神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。詩篇一0八篇十三節 ともにおられる神 [聖書]詩篇108篇13節 「主にあって」あるいは、「キリストにあって」ということばは、私たちの信仰そのものです。 使徒パウロが「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」(ピリピ1:21)とその信仰を告白するように、主がともにおられるなら、すべてが神の栄光に包まれるのです。 現在、私たちは申命記を通読しています。 先週の祈祷会では、まさにダビデの詩篇108篇を思わせるような場面を申命記20章1節から4節までに読み取ることができました。 ここには、圧倒的な力を持つ敵の前にあっても、主がともにおられるゆえに敵... -
「わたしはいつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)
<I am with you always.>アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち61 「わたしはいつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)<I am with you always.> このことばは、死に勝利された復活の主が、ガリラヤの山で主の弟子たちに対して語られたことばです。 また、旧約では、神が選ばれたイスラエルの民に対して語られ、新約では、弟子たちと教会に語られた主のことばでもあります。 マタイは、「世の終わりまで、いつもともに…」と記しています。ダビデは、「神にあって私たちは力ある働きをします」(詩篇108:13)と、神こそが私たちの敵を打ち砕いてくださると、その信仰を歌っています。 一昨年私は、『幸せの歌』を作詞作曲し「僕の中に君がいる。君の中に僕がいる。そして僕たちみんなの中... -
私たちの敵はどこに [聖書]詩篇108篇13節
説教要約神にあって私たちは力ある働きをします。神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。詩篇一0八篇十三節 私たちの敵はどこに[聖書]詩篇108篇13節 新年の歩みもひと月を過ぎ、私たちは新たな指針を掲げ、向きを変えて一歩を踏み出しています。 私たち主の教会に委ねられた使命は、「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」(ヨハネ3:16)という、福音宣教にあります。 それと同時に、私たちの生き様がみことばに根ざし、地の塩・世の光としての役割を担うことでもあります。 先週の教職委員会全国連絡会では、この働きを担う牧師、同労者の熱心な意見交換がなされ、私たち教職者の資質を問う、教職審査のあり方等が協議されました。 私が進行役を務めさせていた... -
「敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。」(1テモテ4:7b)
<Train yourself to be godly.>アントニオいのちPastor Macky 69の『いのちのパン』アントニオいのち60 「敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。」(1テモテ4:7b)<Train yourself to be godly.> パウロは「愛する我が子よ」と呼ぶまだ若いテモテに対して、敬虔を身に付けるように命じます。 このすぐあとに、「肉体の訓練も少しは有益ですが、今のいのちと来るべきいのちを約束する敬虔は、すべてに有益です」とその理由を述べています。 私はかつてアマチュアとプロでボクシング選手として身体を鍛えていましたので、肉体の鍛錬は有益であることはよく知っているつもりです。 しかし、それはどう考えても一過性のものなのです。 ここでいう「敬虔」とは、原語では「畏敬、敬神、神を畏れ敬うこと」を意味し、イエス・キリストの十字...
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