私たちの敵はどこに [聖書]詩篇108篇13節

神にあって私たちは力ある働きをします。
神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。
詩篇一0八篇十三節

私たちの敵はどこに
[聖書]詩篇108篇13節

 新年の歩みもひと月を過ぎ、私たちは新たな指針を掲げ、向きを変えて一歩を踏み出しています。

私たち主の教会に委ねられた使命は、「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」(ヨハネ3:16)という、福音宣教にあります。

それと同時に、私たちの生き様がみことばに根ざし、地の塩・世の光としての役割を担うことでもあります。

 先週の教職委員会全国連絡会では、この働きを担う牧師、同労者の熱心な意見交換がなされ、私たち教職者の資質を問う、教職審査のあり方等が協議されました。

私が進行役を務めさせていただきましたが、内容の本質を理解するには役不足であることは否めませんでした。

そんな中で、ふと思わされたことは、私の外敵は私自身の内側にあるということです。

自分には力がない。とても担いきれない」という拒絶反応が心を支配しようとすることです。

 相応しい賜物を用いて主に仕えるというならば、もちろん負担なくできるでしょうが、主の教会の本質は、様々な賜物の共同体であり、主にあって一つのからだなのです。

したがって、私たちの敵は、何よりも私たちの内側にある不信仰であることを覚えるのです。

1.力を働かせるために

 イスラエルの民が荒野の40年を経て、いよいよ約束の地へ一歩を踏み出そうしたとき、モーセは民に対して、モアブの地において「みおしえの確認を行うことにした」(申1:5)というのです。

 単に物理的に方向を変えることではなく、自らの心に神への敬虔を刻み込むために神の約束とそのことばを確信させることに力を注いだのです。

2.旧約聖書の聖絶を思うとき

 敬虔を鍛えるためには、聖書通読と祈りは必須です。

みことばを学ぶには、教会において語られる説教と神との交わりの中で、より深められます。

 祈祷会の学びで分かち合ったことですが、主が民に対し、「忌むべき先住の民を聖絶せよ」と命じますが、それは神の民が偶像に染まり、まことの神に背くことのないようにするためです。

3.自らの敵を聖絶せよ

 主の教会にある今日の私たちの敵は、旧約の民と同様に、私たちの中にある不敬虔なのです。

敵は私たちの中で、あたかも私たちの協力者であるがごとく、甘い誘惑をもって忍び寄ってきます。

したがって、みことばそのものである神こそが、私たちの内なる敵を踏み潰してくださり、光の道へと向きを返させ、勝利を与えてくださるのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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