見よ、その日が来る マラキ書4章2節

 しかしあなたがた、わたしを恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼には癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように飛び跳ねる。マラキ4章2節

 アドベントの第三週を迎えました。いよいよ来週は救い主の御降誕をお祝いするクリスマスを迎えます。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(1ヨハネ5:4)とあるように、クリスマスのイエスが、十字架の贖いの御業を成し遂げてくださったことによって、私たちに勝利の人生を与えてくださったことを覚える時、それそこ、私たちの人生は、毎日がクリスマスの喜びでいっぱいなのです。本日は旧約聖書最後のマラキ書4章から、「見よ、その日が来る」と言われる神のさばきの預言からクリスマスのイエスについて学ばせていただきたいと願っています。この書は旧約と新約の架け橋となる旧約最後の書であり、前400年頃に記されたものです。エルサレム神殿は再建されたものの、未だペルシャ帝国の支配下にあり、祭司と民の信仰は堕落し、犠牲は軽視され、十一献金は怠られ、民の雑婚など、神を欺く罪の中にありながらも彼らは約束のメシヤを待ち望んでいました。そんな彼らにとって、主の到来はさばきを意味するのだとマラキは宣言するのです。この預言は今日の私たちの時代、この世界にも適用されることばであることを覚えます。

1.信仰による忍耐と限界
 エルサレム第2神殿の再建は前515年であり、前440年にネヘミヤによって城壁が再建されます。しかし、いつになっても帝国の支配下にあり、民のメシヤ待望に限界が生じていたのです。
期待しても何にも変わりはしない」という絶望感から、彼らの信仰は堕落し、神を欺くようなささげ物がささげられ、礼拝は形骸化されて行くのです。

2.見よ、その日が来る
 「その日が来る」とは、神のさばきの時です。「さばき」とは選り分けること「聖別」を意味します。そもそもイスラエルは神の選びの民なのですが、神はその中から、神を信頼する真の民と偽りの民を選り分けるというのです。1〜2節にその基準について、高ぶりと主を恐れる者が対比されています。「義の太陽が昇る」とは栄光の恵みです。

3.来るべき主の日を覚えて

 4節から6節は、これから400年後のバプテスマのヨハネの登場とキリストによるさばきについてです。結びの訓戒は「モーセの律法を覚えよ」であり、結びの預言は、エリヤが「主の日」の先駆者となるように、バプテスマのヨハネがその先駆けとなり、救いの御子キリストによって贖いの御業が成されることが旧約最後の節で語られているのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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