私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。
私はその道を喜んでいますから。
詩篇一一九篇三五節
主に従うことの幸い [聖書]詩篇119:33-40
昨年のイースターは4月4日でした。
その前週は受難週で、妻めぐみが受難日である4月2日の朝8時17分に夫の私が見守る中、天に召されました。
昨日は、その一周忌を迎え、家族で生前のお母さんを偲び、神さまの恵みを覚えさせていただきました。
めぐみの信仰の生涯を一言で証言するなら、「いつも喜んで主に仕え、教会に仕えた生涯だった」と言えると思います。
また、本当に主に愛されていた姉妹だったと思います。
私はこのところ、「みことばの光」を用いての聖書通読から、一つのテーマに導かれています。
それは、「キリストの恵みに生きる」ということです。
それは教会の指針である「向きを変えて出発せよ」に通じるものです。
ともすれば、私たちは「神の恵み」を安易な観念として捉え、「口で告白すれば救われ、その恵みを無償で受けられる」と考え、キリストが十字架上で血潮を流し、いのちを捨てられた大きな贖いの代価を軽んじてしまう傾向があるのです。
キリストを信じるということは、キリストへの服従であり、服従とは、キリストを信じることにあるのです。
ここに、この世の束縛から解放される自由があり、キリストの恵みがあるのです。
1.主の道に歩む幸い
この詩篇は、八節ごとの段落がすべてヘブル語のアルファベット順に綴られている「いろは歌」のような詩です。
「みおしえ、さとし、戒め、おきて、仰せ、ことば」などの用語はすべて、律法と神のことばを指す同義語として用いられています。
アーレフではじまる1節から8節までをお読みいたします。
2.あなたの優先順位は
聖書を通して神の歴史を学ぶとき、人間は神の存在を知りつつも、神から離れ、自分の都合の良い偶像である神々を作り上げ、自分のご利益を第一にしていることを教えられます。
現在のロシア・プーチンの独裁政治もそうです。
かつての日本もそうでした。
そして今、私たちの中にも、神の恵みを世俗化させ、罪人の義認ではなく、罪の義認にすり替えていることがあるのです。
3.主に従うことの幸い
妻めぐみが召されたときに、私にはっきりと示された聖句があります。
ガラテヤ2章19-20節です。
それは、まさに本日の箇所にある「おきての道、みおしえ、仰せの道、あなたの戒め」に、自分優先ではなく、自らに死に、キリストに生きる信仰生活を意味するのです。
向きを変えて出発することとは、まさにキリストに従って歩むことなのです。