神を愛するとは、神の命令を守ることです。
その命令は重荷とはなりません。
なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
(新政訳第三版)第一ヨハネ五章三節〜
神を愛するとは 【聖書】1ヨハネ5章3-4
昨年の今頃、入院中のめぐみ姉は、死の縁をさまよう重篤な状況にありました。
ちょうど受難週に入った時期です。
先週、そんな天国のめぐみを覚えながら、「愛すること、愛されること」について思い巡らしていました。
私をとことん愛してくれた妻が先に天国に行き、夫の私がまだ地上に生きている。
私が今生きているのは、私を愛してくれた妻の愛に免じて、主が私をあわれみ寛容を示してくださっているのは間違いのないことです。
では、「牧師の私が神を愛するとは、いかなることなのか」ということを、先週水曜日の夜から木曜の朝まで、体調を崩し、一睡もできない中、第一ヨハネ5章3から4節を中心に、またも心の中で一人問答がはじまったのです。
そして、ストンと心に落ちたのが、「神の命令を守ること」という回答で、みことばに聞き、みことばに従って歩むこと、それが神を愛することだと再確認させられたのです。
そしてそれは、重荷にならず、むしろ神の勝利を得る確信となり、妻めぐみが「私には平安があるよ」と言ったように、揺るがぬ希望となるのです。
今朝は、キリスト信仰の最も大切な「神を愛するとは」という主題で共に学ばせていただきます。
1. 罪がもたらす滅びを前に
聖書は、人の高ぶりこそ、キリストの贖いを必要とする最も大きな罪であると教えています。
自己中心も高ぶりの一つです。
現在通読しているゼカリヤ13章8節に「全地の三分の二は絶たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る」と記されています。
まさに黙示録8章の週末の世を預言しているのです。
2. 罪に満ちるこの世だからこそ
聖歌593番に『ああめぐみ!』がございます。
「罪に満ちる世界、そこに住む世人に、いのち得よとイエスは血潮流せませリ」という歌詞です。
まさに福音賛美です。キリストの十字架の愛によって、私たちは罪赦され、死に勝利するのです。
キリストこそ私たちに愛と平和をもたらす救いの光です。
神の愛に生きるとは、贖い主であるキリストにあって、神とともに生きることなのです。
3. キリストにある勝利
「その命令は主にとはなりません」と本日の聖句は教えています。
理由を導く接続詞「なぜなら」(ホティ)の後に、「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです」とございます。
私たちを地獄の捕虜とする罪の支配者から解放し、勝利者としての栄冠をお与えくださり、さらに勝利者の祝宴にお招きくださる神の恵みがそこにあるのです。