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この世では旅人
寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからですある。出エジプト22章21節 今朝は、本日の「みことばの光」の通読箇所、出エジプト記の22章から学ばせていただきます。私たちは礼拝の聖書交読で繰り返し出エジプト記20章の「十戒」を司会者と交読しています。 3節から始まる十戒の前文は2節の「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」です。つまり、イスラエルは最初から神の民としての立場にあったのではなく、400年という長きに渡るエジプトの奴隷状態から神の恵みと導きによって解放され、神の民とされたことが十戒の大前提なのです。また十戒にはすべて「あなた」と二人称単... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち180
「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この聖句は昔、私が生涯献身を求めて断食祈祷していた京都のビジネスホテルの一室で与えられたものです。なかなか確信が与えられず悶々としていた朝方、たまたま開いていたページがこの詩篇73篇でした。この聖句に触れたとき、私は直感で、主が諭し導いてくださるのなら、私はありのままで従おうと決心したのです。そして、「後には栄光のうちに受け入れてくださる」ということばには、主の十字架による勝利と栄冠が輝いて見えたのです。 あれから、早くも40年になろうとしています。振り返ると間違いなく主の諭しと導きは真実であり、残された人生にも神の栄光の希望が溢れているのです... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち179
「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」(詩篇4:1) 新改訳2017では、「追いつめられたとき、あなたは私を解き放ってくださいました。」と訳され、完了形で記されています。この「ダビデの賛歌」の4章1節の前後には、神に対する叫びと祈りがあります。つまり、敵に追い詰められ、危機的状況の中で、神に向かって祈り求め、解放されて平安を得たというのです。私たちの危機的状況にも、物理的、精神的なものが多々あります。経済的な心配、人間関係による思い煩いなど、やり場のない状況に追い詰められることがあります。このようなときに、キリスト者は、救い主イエス・キリストの御名により、義なる神に向かって具体的助けを祈り求めることができる... -
主を信じて前進せよ
モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。」出エジプト14章13節 本日の週報の写真は、先週の教会学校教師任命式の様子を絢葉姉が撮ってくれたものです。教師たちは正しい聖書観に立ち、自らの信仰の生き様を持って神の真実を伝える役割を牧師と共に担っています。そして心を一つにして神の民である教会を導くのです。本日の説教箇所は、昨日の通読箇所の出エジプト記のクライマックスの出来事です。心を頑なにした10パロ目(心を頑なにしたパロ王の回数)のファラオが解放したイスラエルの民をエジプトへ連れ戻そうと選り抜きの軍隊... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち178
二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。」(伝道者4:9) 「このことばは、「エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば」(1:2)とあることから、ソロモン王とされています。彼は当時の全世界に、知恵と富と文才で知られていた最も有名な王でした。彼のこのように優れた知恵と知識は、彼がそのことを第一に神に願い求めたからです。(cf.1列3:10)。その知恵は、シェバの女王がソロモンの名声を聞き、難問を持って試そうと大勢の従者と多くの贈り物を携えて接見するほどでした(1列王10:1)。「彼に答えられなかったことは何一つなかった」とも記されています(同10:3)。そのソロモンでさえ、「二人は一人よりもまさっている」と言うのです。この伝... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち177
「もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。」(ミカ7:19) 昨夜の祈祷会で教会福音讃美歌の371番『とこしえの父の神に』を、みなで賛美した。繰り返しの箇所に「主の御手はどんな罪も、海の深みに投げ入れて沈められる。主よ、感謝します。」と歌われている。まさにミカ書7章19節の聖句です。ダビデの統一王国が、彼らの偶像礼拝と背信の罪ゆえに、北と南に分断され、サマリヤとエルサレムがそれぞれの首都となるのですが、北のサマリヤはBC721年にアッシリヤ帝国によって廃墟となり、BC586年には南のエルサレムもバビロンによって陥落するのです。このミカ書の特徴は、「罪、滅亡、回復」の三つの使信が記され... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち176
「わたしの愛にとどまりなさい。」 ”Now remain in my love.” (Jhon15:9b) このことばは、主イエスが最後の晩餐の後に12弟子たちに語られたヨハネ15章9節の後半の一句です。これは、ぶどうの木とぶどうを実らせる枝のたとえをもって語られた主のことばで、「人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます」とのことばに続くものです。神の愛にとどまり生きるとはなんと素晴らしい恵みでしょう。混沌としたこの世にあって、いのちの水が湧き溢れ、平安と希望に心が満たされるのです。キリストの教会は、この愛に生きる者たちの共同体で、キリストのからだを形成しています。キリストにある私たちが、主の愛にとどまり歩むなら、多くの... -
復活のいのち
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ヨハネ3章3節 本日はイースターです。先に天に召された兄弟姉妹を偲びつつ召天者記念礼拝として行わせていただきます。先週私は、月曜からの三日間、千葉県東金市にある文枝姉のマンションで小さな特別集会を持たせていただきました。写真のお二人の他にご主人が青森県出身のご婦人もお一人集い、少人数でしたが、とても充実したプログラムを開催することができました。 5月12日は青森クリスチャンセンターでお二人の洗礼式を執り行います。 洗礼は、キリストの十字架の死と復活を信じ告白し、「罪に死にキリストにあって生きる」という第二の誕生日で... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち175
“このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。”(コロサイ2:3) 私たちは今、2024年の受難週を過ごしています。本年の受難週は、私にとって格別なものがあります。妻が天に召されて三年が過ぎ、まだ若いと思っていた私も71歳になりました。残された人生はあまり多くはありませんが、これまでに与えられた多くの恵みを、しっかりと後世に残したいと思っています。先日、受難週の説教を聞いた求道中の女性が、「イエスさまがかわいそうです」とポツリと言いました。「そっか…」と私は思いながら、彼女に言いました。「実は、かわいそうなのは、イエスさまを十字架につけた私たちなのですよ」…と。イザヤ書にこう記しています。「彼は私たちの背きのために刺され、... -
目を覚ましていなさい
ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。マタイ25章13節 本日の箇所は、再臨の主を花婿になぞらえ、天の御国に入れる五人の娘と入れない五人娘のたとえです。今朝の週報の写真は、先週の婦人会の様子です。学びと主にある交わりの中で、みなさんが、油を満たして待つ賢い五人の娘のように写っています。本日の箇所のたとえは、24章後半の主人が帰るのを待つ忠実なしもべのたとえの続きです。これらの連続したたとえの目的は、主の再臨に際して「目を覚まして」(マタイ24:42,25:13)その時を待つという主題です。そして本日の箇所は、花嫁を迎えに来る花婿一行に、松明の明かりを灯して宴会場に向かう10人のブライドメイドのお話なの...