Pastor Macky 69の『いのちのパン』
アントニオいのち74
「ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさせられています。」
(2コリント4:16)
この度のイースター礼拝では、昨年の受難週に天に召された妻めぐみと先に天に召された教会員を偲び、合同記念礼拝とさせていただきました。
先人の信仰の生涯を覚えるとき、不思議と平安が与えられ、新しいいのちの希望がパァーッと青空が広がるように心いっぱいにみなぎってくるのです。
冒頭の聖句の「ですから」の文脈は、主をよみがえらせた父なる神が、私たちをもキリストとともによみがえらせ、御前に立たせてくださることを指しています。
いつまでも若いと思っていた私も数えで七十になります。
二十年前とは容姿もそうですが、体力も随分衰えました。
しかし、不思議に内なる人は、ますます愛、喜び、平安、希望に満たされ、神の恵みに包まれているのです。
これこそ、先人たちが抱いていた信仰なのです。
※「アントニオ」とは、ラテン語で大変貴重なものという意味 (2022.4.21)