あなたの御手が私の助けとなりますように。
まことに、私はあなたの戒めを選びました。
詩篇一一九篇一七三節
御手の助けによって [聖書]詩篇119:169-176
教会暦では、本日から受難週に入ります。
昨年と比べると二週間ほど遅れて17日にイースターを迎えます。
めぐみ姉は、昨年の受難週の受難日の朝に天に召されました。
私にとって、昨年の受難週とイースターは、これまでになく意味深いものとなりました。
「キリストと共に十字架に死に、キリストと共に生きる」(ガラ2:19-20)ことを、妻の死によって現実的に知ることができたからです。
神のことばは真実であり、永遠のいのちを保証するものであることを私たちは信じています。
先週末まで通読していた詩篇119篇のヘブル語のアルファ文字「アーレフ」から始まる「いろは歌」は、繰り返し、「みおしえ、さとし、戒め、仰せ、道、おきて、さばき、まこと」など、律法と神のことばを指す同義語を用いて、「幸いな人の歩み」について韻を踏んで教えています。
105節の「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」は、多くの人が愛唱聖句としています。
今朝は、アルファ文字最後22番目の「ターウ」で始まる169節、「私の叫びが御前に近づきますように」から、「主の御手による助け」について、ともに学び、私たちの信仰の確信とさせていただきましょう。
1.幸いな道を歩むこと(v.1〜3)
聖書全体は、人の幸いは、神のことばに従って、神とともに歩むことが最善の道であることを一貫して教えています。
そもそも、そこに神が造られた被造世界の秩序があり、ゆるがない法則があるのです。
これを「律法であり預言者」、つまり神のことば、神のみこころであると聖書は教えているのです。
119篇1〜3節までをお読みします。
2.あなたの恵みによって(v.172)
「主イエスを喜ぶことは、あなたの力です」というゴスペルがあります。
神は私たち人間に、全地の全ての物を享受して、主を喜び讃えるために用いることを許しておられます。
それを私たちは賜物として用い、人生の豊かさを味わうことができるのです。
これを私たちは神の恵みとして受けているのです。
3.祈りとみことばによって(v.169〜)
最後に、「主にある信仰」について、考えてみましょう。
パウロは、「キリストにあって」ということばを繰り返し用いて、キリストにある実存的な信仰について言及しています。
そこには、「救い、贖い、新生、恵み、勝利」などが統合されていると言うのです。
その信仰者の実存は、神への祈りと願いが血流となり、神のみことばが、信仰者の歩む道として具体的に示されて行くのです。