実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
あなたの真実は偉大です。
哀歌三章二二節
終末の世にあって3 [聖書]哀歌3:19-33
ウクライナ・マリオポリの製鉄所の地下シェルターに今なお多くの民間人が避難し劣悪な状況に置かれています。
プーチン大統領がロシア軍に「ハエ一匹通らないようにせよ」と指示を出したことが報道されています。
まさに兵糧攻めです。戦争とは、人殺しによる悲惨と破滅で、行き着くところは自滅であることに気づいていないのです。
これが人間の愚かさであり、キリストの贖いを必要とする大きな罪なのです。
昨日土曜日まで通読していた哀歌は、南ユダ王国の滅亡とその惨劇を「ああ…」(1:1,2:1,4:1)と嘆き悲しむ歌です。
神の祝福の民であるはずのイスラエル国家が、なぜ異教の国によって侵略され滅ぼされたのか。
それは、民の度重なる神への背信と裏切りによるのだと哀歌は嘆き歌うのです。
栄光に輝くダビデの王国、栄華を極めたソロモン神殿が、主が敵のようになって、容赦なく破壊され、尊い命が奪われるのです。
「なぜこのようなことが」が、哀歌全体のテーマです。
今日の私たちにも「なぜ神よ」と思うようなことで満ちています。
今回も前回に引き続いて、終末の世にあって、主が私たちに求めておられることを共に学んでまいりましょう。
1.主のあわれみと真実
今私は、教会の祈りと交わりの中で、とても多くのことを教えられています。
それは、様々な出来事の中にあって、この私が主にあって生かされていることを実感しているからです。
哀歌の嘆きの歌を思う時、屈辱的な惨劇をみまうやもめシオンに対して、主は、「あなたは私に対して如何にあったのか」と問いつつ、今生きている者たちに対して悔い改めを迫っておられるのです。
2.たとえ悲しみを与えても
3章32節に、「主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みよって。人をあわれまれる」とございます。
続く33節、「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」
不条理と思われる世にあって、神は御子によって罪を贖い、死んでも生きる永遠のいのちをお与えくださいました。
このキリストに真理があるのです。
3.朝ごとに新しい主の恵み
ぜひ、哀歌3章22節を暗唱してください。
キリスト者には、回復した神の国、シオンの都はすでに心の中に備えられているのです。
それは、キリストの十字架の贖いによるもので、朝ごとに新しい真実と恵みです。
それゆえに、私たちは「いつも喜び、絶えず祈り、全てに感謝」できるのですから。