イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ヨハネ3章3節
本日はイースターです。先に天に召された兄弟姉妹を偲びつつ召天者記念礼拝として行わせていただきます。先週私は、月曜からの三日間、千葉県東金市にある文枝姉のマンションで小さな特別集会を持たせていただきました。写真のお二人の他にご主人が青森県出身のご婦人もお一人集い、少人数でしたが、とても充実したプログラムを開催することができました。
5月12日は青森クリスチャンセンターでお二人の洗礼式を執り行います。
洗礼は、キリストの十字架の死と復活を信じ告白し、「罪に死にキリストにあって生きる」という第二の誕生日であると言えるでしょう。本日の箇所には、ユダヤ最高議会の議員で高齢者と思われるニコデモが夜に人目を忍んで主のもとに来て、主に尋ね求めるのです。彼はパリサイ人の中でも心砕かれた人でした。彼らが信奉する復活と神の律法の真髄について、渇きをもって求めていたのです。このニコデモの謙虚な心に主は「まことに、まことに、あなたに言います」と即答されるのです。つまり、ニコデモの求めが、聖書全体の中心聖句とも言えるヨハネ3章15節と16節を主から導き出されたのです。
1.人として求めるべきもの
本日の礼拝は、主の復活を記念して、この世の生涯を終え、天に凱旋された信仰の先輩たちを覚えて行っています。彼らは地上では旅人であり、寄留者のようでしたが、生涯目指していた神の国、永遠のいのちへと場所を移したのです。ニコデモは、神の民、ユダヤ人の指導者として、真に求めるべきものを心から求めていたのです。
2.新しいいのちの希望
「人の齢は70年、健やかであっても80年」と詩篇にあります。もう私も人生の晩年を生きています。考えみれば儚い人生です。けれども、私の心は感謝と喜び、溢れる希望に満ちています。
先に召されたお一人びとりを思うと、みな共通点があります。それは、後世に信仰の希望を残した事と最期の明確なことばです。それを紹介します。
3.キリストにある新しいいのち
神の国を見るために、そこに入るためには、「新しく生まれる」必要があることを主はニコデモに話しました。それは、十字架のキリストと共に罪に死に、復活の主を信じ、復活のいのちの恵みに与る信仰が必要であることを主は教えておられるのです。聖書全体は、このニコデモとの対話から主が語られた「ヨハネ3章のみことば」にあるのです。
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