恵みと祝福は主から

 主は ご自分の民に力をお与えになる。主は ご自分の民を 平安をもって祝福される。

詩篇29篇11節

 先週水曜夜の祈祷会で、堤長老から「恵みと祝福の違いはなんでしょう」という質問が、ある方の代弁としてなされ、ダビデの詩篇26篇を学びながら、出席者とともに考えてみました。そして、私がこれまで学んで来たことをお話しし、それをあらためて先週の「アントニオいのち」でも配信したのです。恵みと祝福を分けて考えることはとても大切なことだと思っています。ギリシャ語の辞書では「恵み」(カリス)は、「み深い行為、恩恵、恩寵であり、新約聖書では、神がキリストによって人類にもたらされた無償のギフトである」とあります。つまり、恵みはキリストの十字架によって与えられたと言えるのです。本日は、昨日の通読箇所、詩篇29篇から「すべては神から出て、神に帰る」ことをテーマに、「恵みと祝福は主から」というタイトルで、ともに学ばせていただきます。第二コリント5:18に「これらのことはすべて、神から出ています」とあります。つまり前節の「新しく造られた者です」という新生の恵みは神から発せられたというのであり、私たちの功績は一つもないのです。まずは本日の詩篇29:1の「栄光と力を主に帰せよ」からお話しさせていただきます。

1.万物の創造者を知ること
 人間の存在について、パウロは「すべては神から発している」(1コリ11:12)と当時の教会における秩序について述べています。私たち人間は、自らの知識で神を論じ、神々を作ることさえします。しかし、神の民の王であるダビデは、私たち存在の起源は神にあり、私たちの祝福は神からのものであるゆえに、神に栄光を帰せよというのです。

2.主の声を聞いて知る
 3節からこの詩の本題に入り、主語は「主の声は」(The voice of the Lordと9節まで7回繰り返されます。「栄光の神は雷鳴をとどろかせる」(v3)とは、神の御声で、天地万物を創造され、歴史を支配され、さらにその威光はパレスチナ全土におよび、民はこの神に向かい「栄光」(Glory!)と賛美するのです。まさに私たちの真実な礼拝です。

3.主の平安と祝福
 10節の「大水の前から」は、ノアの洪水を意味し、今も公正なさばきを行う偉大な神を示しています。11節には、「主はご自分の民に力を与え平安を持って祝福される」とあります。今日の教会に適用するなら、キリストの十字架の贖い」による救いを指し、すべてがキリストから始まり、キリストに帰る。つまり私たちには御国の希望があるのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

目次
目次
閉じる