イエスは応えられた。
「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」
マタイ三章五節
御霊による新生【聖書】ヨハネ3:1-16
写真は、先日の全国総会で紹介された新任教職者たちの一コマです。
顔ぶれを拝見するに、おそらく三十代から五十代までの新任教師だと思います。
初老の私にも、世代交代を実感したひと時でした。
しかし、不思議と心の中には平安と満足感があり、私の内側はますます新しさが満ち溢れていることを感じさせていただきました。
これもまたキリストの恵みであることを覚えます。
次週の礼拝では、Mさんが洗礼を受け、主の教会の一員として加えられます。
キリストを信じて洗礼を受けるそのことが、「まことに、まことに、あなたに言います」と念を押すように語られる重要な真理のことばなのです。
それは、「水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」ということです。
このとき、パリサイ人で律法の教師であり、議員でもある高齢のニコデモは、このことばを理解することができませんでした。
なぜでしょうか?
それは、回心前の律法のエリート、迫害者サウロにも言えることです。
それは、「肉によって生まれた者は肉です」と主が語られたことです。
人は、主による霊的新生がなければ、決して新しいいのちに与ることができないのです。
1. 水と御霊によって生まれる
このニコデモと主との問答は、聖書中、最も重要な真理が語られており、学者の間でも多くの論議がなされています。
特に「水と御霊によって生まれる」の「水」とは何を意味するのかが議論の対象となっています。
パプテスマを指すという見解が多いのですが、私は「水と御霊」とは神の恵みの賜物としての罪の洗い聖めと霊的刷新(回心)を意味するものと受け止めています。
2. 信仰の証としてのパプテスマ
パプテスマのヨハネのもとに大勢のパリサイ人やサドカイ人が洗礼を受けに来たとき、彼は「まむしの子孫たち」と彼らを呼び、「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と戒めました。(マタイ 3:7)
霊的新生には、罪の悔い改めが必要であり、罪に死にキリストにあって生きるという、信仰が求められるのです。
私たちのパプテスマはそのことの証しなのです。(cf.ガラ2:19-20)
3. ニコデモの大きな変化
戦後、日本で伝道された外国人宣教師が、ことば足らずで「ねこでも救われました」と語ったところ、多くの人が驚いて説教に耳を傾けたというエピソードがあります。
そうです。
後のニコデモは主を信じ、最も重要な場面でその信仰を行いによって証するのです。#.1
※要約3の#.1について
ヨハネの3章では、夜に人目を忍んで主に会いに来たニコデモが、後に白昼堂々とユダヤ議会において、「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことはしないのではないか」(ヨハネ 7:51)と主を弁護し、さらには十字架で死んだ主の亡骸を葬ったわずか二人のうちの一人となりました。
彼は主の弟子たちがみな逃げ去った時にも、イエスを葬るためにアリマタヤのヨセフを助けたのです。(ヨハネ 19:38-39)