私の愛する方は、私に語りかけて言われます。
「わが愛する者、私の美しい人よ。さあ立って、出ておいで。」
雅歌二章十節
最高の愛に包まれて【聖書】雅歌2:3-10
「みことばの光」による聖書通読は、先週月曜日から『雅歌』に入りました。
「雅歌」の表題は漢訳聖書によるもので、ヘブルでは、「もろもろの歌の中の唯一の歌」とされています。
第一列王記4章32節には、「ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五首もあった」と記されています。
つまり、この「歌の中の歌」とは、ソロモンの歌の中から厳選したものということです。
この書のテーマは愛です。
男女の像熱的な深い愛が、さまざまな表現で歌われ、やがては結婚へと導かれている様子が描かれています。
教会で会衆の前で朗読するには躊躇するような言葉や表現がしばしば登場します。
後にソロモンは、「七百人の王妃としての妻と三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた」(1列 11:3)とあるように、忌むべき偶像を受け入れてしまい、その結果、王国の分裂をもたらしてしまうのです。
ではなぜ、この書が正典として受け入れられたのでしょうか。
本日はそのことも含めて、雅歌が歌う相思相愛の最高の愛と喜びと、その根底にある「神の選びとただならぬ愛」についてお話したいと願っています。
1.あなたはわたしのもの
預言者イザヤを通して語られた種のことばに「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの」とあります。(イザヤ 43:1)
聖書は、神がご自身の花嫁としてイスラエルを選ばれたこと、そしてその愛が恵みとまことに満ちて寛大であること<ヘセド&アガペー>を教えておられます。
また新約聖書では、教会と聖徒たちを主の花嫁として表現していることを覚えるのです。
2.主にあって結び合わされること
雅歌に表現される愛は、繊細で、それでいて広く深く、寛大であることを教えられます。
私は2章を通読していて、3節からの余白に思わず「ママとパパ」と書き記してしまいました。
また同時に、詩篇128篇を思い起こし、主にある夫婦家族がどれだけ幸いなことかと実感させていただいています。
3. 愛されている者として
この書の男女の愛は相思相愛で、少しでも離れるなら、相手のことが愛おしくて少しも黙っていられないのです。
それを「恋い慕う」と表現しています。
神はご自身の御子を犠牲にしてまでも私たちを愛してくださっているのです。
しかも、「あなたは高値で尊い」と言ってくださるのです。この父なる神の愛に私たちの応答はいかがでしょうか。