神にあって私たちは力ある働きをします。
神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。
詩篇一0八篇十三節
人生の完走目指して [聖書]2テモテ4:1-8
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは、労苦と災いです。」(詩篇90:10)
これは、〜神の人モーセの祈り〜と表題のある詩篇の一節です。
私は、この3月に誕生日を迎えて69歳になります。
幼少期には病弱でいつ死んでもおかしくなかった少年が初老となり、人生後半をキリストとともに走り続けています。
思いもよらなかった新型コロナに罹患し、発症して二日間は、高熱の他、血圧が二百を超え、死ぬほどの目に遭いました。
幸い、背後の祈りの力で、三日目から回復し、人生最後のコースに戻していただけました。本日の「みことばの光」の通読は、第二テモテ4章です。
まだ若い伝道者テモテに対して、使徒パウロは、「どんな場合にも、慎んで苦難に耐え、自分の務めを十分に果たしなさい」(4:5)と命じているのです。
それは、「時が良くても悪くても、みことばを宣べ伝えよ」という使命です。
今、世界は危機的な様相を呈しています。終末の時代そのものです。
老いも若きも、「義の栄冠が待ち受ける戦いのゴール」をしっかりと見据えて走り続けることが、恵みの神が私たちキリスト者に求めていることなのです。
1.さばき主、キリストを覚えつつ
「生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエス」(v.1)私たちは主の贖いの御業によって、「死は勝利にのまれたり」と確信する者です。
ですから、道を外すことなく、キリストの道を主とともに走り続けることが求められているのです。
世は、キリスト者をも脱落させようと様々な手段を講じて戦いを挑んでくることを覚えなくてなりません。
2.栄冠を勝ち取った先人を覚えて
パウロは「私は世を去る時が来ました」(v.6)と、悲壮感を感じさせることなく、快活に述べています。
それは、喜びつつ義の栄冠を手にする勝利者の姿を連想いたします。
私は、今回の自宅療養中、天国で妻と再会し、見たことのない青空のもとで頭がクリアーになり、「わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)の聖句をいただいたのです。
3.義の栄冠を獲得する者として
この義の栄冠に関して、パウロは、「私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださる」(v.8)と述べています。
とするなら、私たちは愛する家族のために、親兄弟のために、この栄冠に至るキリストの道を、「時が良くても悪くても」真実なみことばを通して、また自らの生き様を通して証してまいりたいと願います。