私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。
第一テモテ一章十四節
神のあわれみと恵みによって [聖書]1テモテ1:12-16
昨年末の主日礼拝で、「大事なのは新しい創造です」と、ガラテヤ6章15節を中心に『新しいいのちに生きる』という主題で説教させていただきました。
新しい創造とは、キリストの十字架の恵みによって新生し、新しいいのちに生きる信仰を意味します。
そして、その信仰によって、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」という見事な確信が与えられるのです。
また、その信仰者の共同体である教会と、兄弟姉妹の生き様が、教会に委ねられた福音宣教ともいえるでしょう。
本日の週報の写真は、妻めぐみ召天後、初の牧師ファミリーのお正月記念写真です。
この写真に写っている一人ひとりは、妻めぐみが生きていた証しであると言っても過言ではありません。
しかし、大事なことは、まだ信仰告白をしていない孫たち三人も、イエスさまを信じて神の子とされることなのです。
したがって、今朝は新年二度目の礼拝として、礼拝に集い、神の素晴らしい恵みを知る者として、新年度の指針となるテーマとみことばが与えられることを期待しつつ、この新しい年、私たちが如何にあり、如何に歩むべきかをともに教えられたいと心から願います。
1.最もふさわしくない者が
このテモテ書は、エペソの教会の牧会責任を担う、若いテモテを励まし、力づけるために使徒パウロによって記されたものです。
非常に力強く、厳格な内容ですが、そのパウロ自身は、かつて神をそしり、教会を迫害し、不遜であったのにもかかわらず、キリストによって根本から造り替えられるのです。
それをパウロは主のあわれみにより恵みによって救われたというのです。
2.増し加えられる主の恵み
本日の中心聖句は、14節です。
この前後に、パウロは繰り返し、「あわれみを受けた(v.13,16)と述べています。
あわれみとは、私たちが受けるべきさばきを、忍耐と寛容を持ってとどめてくださる神の愛と言えるでしょう。
そして恵みとは、キリストによってもたらされた無償の恩恵、つまり、救われて義とされることを意味するのです。
この恩恵が溢れ出るようになるというのです。
3.あわれみと恵みの見本として
パウロは、最もありそうもない自分を、神は、キリストのあわれみと恵みを受けた者の「先例」(見本/原意は指し示す)とされたということを述べ、先に述べた15節の「罪人を救うために世に来られたキリスト」を主張しているのです。
まさにこの私たちではないでしょうか。