アントニオいのち– category –
-
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち214
アントニオいのち
「大事なのは新しい創造です」 What counts is the new creation.(ガラテヤ6:15) 2024年もあと一週間を切りました。大きく揺れ動く世界情勢のただ中にあって、キリストの教会に生きる私たちは、心を合わせて神の平和を願い求めます。それは具体的には、一人でも多くの人がキリストの贖いの十字架の愛と恵みを知り、新しいいのちを持つことです。 冒頭の聖句は、「割礼を受けているかいないか」という、うわべだけの信仰が大事なのではなく、生きるいのちの存在そのものが新しく造り変えられているかどうかが重要だというのです。私が知っている一人の女性は、20年の間、精神的病に苦しみ、ご両親もそのために悶々とした生活を送っていました。ある時、お友だちに教会のクリスマ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち212
アントニオいのち
“ 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。”(1ヨハネ4:10) 私たちは今、アドベントの第二週を過ごしています。世界は今、前代未聞の出来事が相次いで勃発し、いつ私たちに飛び火してもおかしくない様相を呈しています。「クリスマス」、それは、神が、私たち人間の罪を贖うための「宥めのささげ物としての御子」(His Son as an atoning sacrifice for our sins.)の誕生を覚えるときです。天地万物を創造された偉大な神が、私たちを罪の滅びから救い出すために、御自身のひとり子を私たちの犠牲としてこの世に与えてくださったのです。使徒ヨハネは「それによって神の愛が私たち... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち211
アントニオいのち
“心の一新によって自分を変えなさい。” Be transformed by the renewing of your mind. (ローマ12:2) 私たちは今、2024年のクリスマスを迎えようとしています。クリスマスは、天地万物を創造された唯一絶対の偉大なる神が、私たちを罪の滅びから救うために御子イエスをこの世に与えてくださった恵みのときです。聖書は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)と教えています。自分を自分の力で変えることはできませんが、神が御子イエス・キリストの十字架の死と復活の大きな愛と恵みによって、私たちに新しいいのちの希望を与えてくださるのです。これが「新しい心」(Th... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち210
アントニオいのち
主を求めよ。お会いできる間に。呼び求めよ。近くにおられるうちに。(イザヤ55:6) 今、私たちの周りは心騒ぐことで溢れています。何が真実なのかを見極めることさえ難しくなっています。ふと気が付けば、自分も偽りの中にどっぷり浸って、その中でもがき苦しんでいるのです。冒頭の聖句は、預言者イザヤがバビロン捕囚(BC586)という南ユダの危機的状況の中で、目を覚まして神に立ち返るようにと叫んだことばです。 新約聖書のヤコブの手紙でも「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(4:8)とあります。預言者のことばはこう続きます。「主に帰れ。そうすれば主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(v.7)... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち208
アントニオいのち
「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1) In the beginning God created the heavens and the earth. 「人とはいったい何者?私は何のために生きている?」と、人はその人生の道のりの中で、しばしば生きる指針を見失うことがあります。つまり正しい目標を見出せなくなるのです。そのようなとき、私たちは、私たちの存在という出発点に立ち返ることが大切だと聖書は教えています。 今から2700年前、イスラエルの預言者イザヤは、取り巻く大国の脅威の中でおじまどうイスラエルの民に向かって、「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」(イザヤ43:26)と、彼らに存在の原点に立ち返るように叫びました。つまり、創世記1章1節にある天地万物の創... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち207
アントニオいのち
「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」(ルカ1:45) これは、マリアの親類であるエリサベツが、おとめマリアが救い主をその身に宿したことを知り、彼女に向かって語ったことばです。新改訳第3版では、「実現すると信じきった人は」と訳されています。 この前提には、「神にとって不可能なことは何もありません」(ルカ1:37)と、御使いがマリアに語ったことばにあります。私たちキリスト者は、礼拝の中で『使徒信条』を通して、「おとめ(処女)マリア」から救い主がお生まれになったことを告白しています。もうすぐクリスマスがやって来ます。世界中でクリスマスがお祝いされますが、このクリスマスの主イエスを、「私の救い主、わが神、わが主」として... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち206
アントニオいのち
ただこの一事に励んでいます。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる栄冠を得るために、目標目指して一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14) 人は、自分のことはさておいて、人の過去の失敗をほじくり返して話題にすることがある。先日、私がそんなことをしたら、大先輩のある先生が、「それは過去の事、もう話題にするのはやめなさい」とたしなめられた。そして、ハッと気づいたことは、私自身の過去の失敗の数々である。もしそれが一つひとつ明らかにされたなら、私は黙って立っていることさえ出来なくなってしまうのは明らかである。使徒パウロは、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち202
アントニオいのち
「たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。」(1コリント12:2) どんなに素晴らしい賜物を持ち、完全な信仰を持っていても愛がなければ、私は無に等しいと使徒パウロは明言するのです。きょうは、アントニオいのちの配信日で、午前三時から目が冴えてしまい、「愛すること愛されること」について思い巡らしていました。そして、このパウロのことばを思い巡らしていたのです。私は今、十字架のキリストの愛によって日々新しいいのちを抱いて生かされていることに感謝と喜びに溢れています。そして、今の気持ちを自分流に表現したのが次のことばです。「愛は生きるいのちの原動力である。」英語だと<Love is the driving force of livin... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち201
アントニオいのち
「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15) 今の時代、世は心騒ぐことで溢れています。落ち着いて静まることさえできない出来事でいっぱいです。どうすれば、安らぎを得、希望を持つことができるのでしょう。世の現実を見る限りにおいては、失意落胆するばかりです。冒頭の聖句は、今から2700年ほど前、ユダ王国の預言者イザヤが語ったものです。ユダ王国がこれまで助けを求めて信頼していたアッシリア帝国に裏切られ、王国存亡の危機に立たせられたとき、ユダの王とその取り巻きたちは、神に助けを求めるのではなく、南の大国エジプトに貢ぎ物をもって助けを求めるのです。そんな文脈の中で、イザヤは、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち200
アントニオいのち
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。主の恵みはとこしえまで。(詩篇136:1) 『いのちのパン』が節目のNo.200となりました。2021年からはじめて一回も休止することなく続けられています。かつて何をやっても三日坊主だった少年が成人になってキリスト信仰を持ち、180度人生が変えられました。そして、その信仰が50年過ぎた今も継続されており、いのちの希望に溢れているのです。冒頭の聖句は、神の民イスラエルが礼拝で用いる交誦賛美で、136篇全ての節の後半が「主の恵みはとこしえまで」と繰り返されているのです。天地万物を創造された神の絶対的主権とイスラエルに対する救いの御業が告白され、永遠に変わることのない神の愛と恵みが讃えられているのです。この夏、私が所...
