アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち195
主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。(詩篇19篇7節) 「主の教えは完全」とは、英語では、<The law of the Lord is perfect.>とあり、それは文字に記された神のことばである「律法」(トーラー)を意味します。この19篇のダビデの賛歌は、冒頭の1節において「天は神の栄光を語り告げ」とあるように、自然界における神の創造の御業と力、そして7節に続く律法のことばとが、相互の関係によって、はっきりと知ることができると詩人は主なる神を讃えるのです。つい最近知ったことですが、かつて重度の精神疾患で苦しんでいたご夫妻が、友人を通してキリスト信仰に導かれ、二人とも病が完全に癒やされ、やがてご主人は牧師にな... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち194
高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。(箴言16:18) 昨日のニュースで青森選出の国会議員が元秘書にパワーハラスメントで訴えられ、謝罪コメントを発表するという出来事が報じられました。その内容の一部として、車の移動で赤信号の際、「時間がもったいないから行ってしまえ」とか、暴言を吐きながら、後ろから運転席を叩くというもので、元秘書は体調を崩し、5日間で退職したと言うのです。国会議員のパワハラ問題は何度も報道されてきたことです。本当に情けなく思います。冒頭に掲げた聖書の格言は、私たちが肝に銘じなければならない教訓です。同じ箴言に、「へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる」(16:19)とあ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち193
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。(エペソ4:26) これは、使徒パウロが紀元61年頃にローマの獄中からエペソを中心に小アジアの諸教会に宛てて書いた「獄中書簡」と言われる手紙の中のみことばです。キリスト者が信仰生活において心がけるべき勧告です。怒りは争いを引き起こし、分裂、分断をもたらします。パウロはこの手紙で、「あなたがたが霊と心において新しくされ続け、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」と述べ、「ですから」(だから)、「怒っても、罪を犯してはならない」と勧告しているのです。かつては激しやすい性格だったという信仰の先輩が、このみことばに教えられ、怒っても決して翌日には持ち越さ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち192
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11) 「この方」とは、十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い出してくださったキリストを指しています。 また旧約聖書の詩篇において、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」と歌われています。これは「真実な神のみことば」を指しています。昨年6月、青森において写真愛好家の70代のご夫妻が、山菜取りで入山して遭難し、懸命な捜索もむなしく、一週間後にご遺体で発見されました。山に詳しく、山菜取りのベテランとのことでした。私自身もまた、道に迷うことがしばしばあります。けれども、「聖書のことば」がわが道の光となり、私を助け出してく... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち191
「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この詩篇のみことばは、今から38年前のお正月に、京都のビジネスホテルの一室で、キリスト者として神学校への献身を求め、主のみこころを求めて祈っていたときに、閃きのように与えられたものです。あれからすでに38年が経過しました。37歳で神学校を卒業し、ふるさと青森で伝道者としての働きを始め、68歳のときに妻に先立たれ、70を過ぎた今も現役として働きを続けています。愚かで失敗だらけの牧会生活ですが、苦難の中にあるとき、不思議とこのみことばに戻され、「主が私を諭して導き、栄光のうちに受け入れてくださる」という確信が与えられるのです。残された人生があとどれ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち190
「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。(1コリント13:2) これは、『愛の章』と呼ばれる有名な使徒パウロのことばです。キリスト者であれば、誰でも捕まえて投獄するという意気に燃えていた迫害者サウロが、キリストとの出会いによって、神の愛を世界に伝える宣教者に変えられるのです。有名なパスカルの『パンセ』の中に「神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう」とあります。ただ知っていると言うのと神を愛し、その愛に生きるのとでは雲泥の差があります。教会の迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられたパウロ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち189
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2コリント5:17) 先日、撮影取材を兼ねて信仰を共にする写真仲間と十和田湖・奥入瀬渓流へとカメラを持って出かけた。朝4時半に出発し、戻ったのは夕方だった。ヘトヘトに疲れたが、目に入った大自然は、まさに神の創造の世界で、その雄大な自然の色彩と光、空気感に圧倒され、見るものすべてが新しい感覚にされている自分に気づかされた。まさに「見よ、すべてが新しくなりました」を実感させていただいたのだ。ネイチャーフォトは得意ではない私だが、今回ばかりは切り込み方が違っていた。奥入瀬の水の流れに、いのちの躍動を感じ、森林の木漏れ日か... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち188
『あなたの罪は赦された』というのと『起きて歩け』というのと、どちらが易しいか。(マタイ9:5) この2、3週間、私の右耳の調子が悪く、耳栓をした感じで難聴状態が続いていました。それはストレス性ではないことは確信しており、自分では温泉で耳に水が入り、それが原因だと思い我慢していました。しかし、ある会議の進行中、人の話が聞こえず、とうとう翌朝一番で耳鼻科に行き、診察を受けたのです。するとなんと、「耳が垢で詰まっています」と医師が言い、器具を突っ込んで引っ張ったら、スポッと栓が抜ける感じで、一回で正常に戻ったのです。本当に気分爽快でした。あとは通院必要なしということです。 今回、掲げた聖句は、中風の人が友人たちに床に寝かせられたまま主の元に... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち187
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」(イザヤ43:19) このことばは、今から2700年ほど前、敵の脅威の中で、四面楚歌の中にあるイスラエルの民に向かって、預言者イザヤによって語られた主のことばです。私たちの人生にも私たちを取り巻く様々な困難があります。そんな状況下で、イザヤは声を大にして「見よ、わたしは新しいことを行う」という主のことばを語るのです。それから700年ほどして、このイザヤの預言は成就します。それは完了形で、「見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)と使徒パウロが力強く語ります。しかし、それは条件文であり、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた」(同)というのです。英語な... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち186
「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(マルコ5:34) 思い煩いや心配で心騒ぐこの世にあって、なんと愛と慰めに満ちたことばでしょう。これは実は、12年もの間、長血を患っていた女が、イエスさまの衣に触れさえすれば、癒されると信じ、人混みの中で主の衣に触り、癒された後に、主イエスが彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言い、「安心して帰りなさい」と続くのです。私自身も、少年時代、「気管支炎、肋膜炎、肺結核」で入退院を繰り返すいつ死んでもおかしくない脆弱な人間でした。そんな息子を案じて、41歳でクリスチャンとして天に召された父が、「まっこ(マッキー)元気でいろよ」とポツリとひとこと言って息を引き取ったのです。 まさ...