アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち171
アントニオいのち“万軍の主よ なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。”(詩篇84:12) この詩篇は、主なる神が臨在される大庭(シオン)で、心からの賛美を持って礼拝をささげる信仰者の喜びを歌っています。詩人は神に向かって、「万軍の主、私の王、私の神よ」と呼ばわり、さらには、「神である主は太陽、また盾」と形容して、主を自らの誇りとし、賛美するのです。その幸せと喜びは、「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にもまさります」(v.10)と歌い、詩人はどんな生き方をするよりも、生ける神に信頼して歩む人生こそが最高の喜びであり、幸いであると主を讃え、自らの信仰を告白するのです。元不良少年で落ちこぼれボクサーであった私マッキー少年は、信仰を持ってまもなく5... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち169
アントニオいのち“金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。”(1テモテ6:10) これは使徒パウロが愛し慕うキリストの同労者、若いテモテに書き記したことばです。パウロはこう続けます。「あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい」と…。金銭を愛することは、強欲に走り、高慢になり、何事にも自己中心になり、他の人を顧みることをしなくなります。今の政治家たちがそうです。全能の神である主は、常に私たちの必要を知っておられます。貧しいからと言って、心配し思い煩うことも、正しい道から外れる要因になります。山上の教えで、主は弟子たちと群衆に向かってこう仰せられました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち168
アントニオいのち“高ぶりがあると、ただ争いが生じるだけ。”(箴言13:10) これは、「ソロモンの箴言」と言われる、旧約聖書の知恵文学の一節です。「高ぶり」とは、人の高慢、思い上がりです。そこには、社会が求める愛や、公正、公義を決して見出すことはできません。このことばの前節に、「正しい人の光は輝き、悪しき者のともしびは消える」とあります。また聖書は、人の高ぶりこそ、キリストの贖いを必要とする最も大きな罪であることを教えています。「木はその実を見れば分かる」とあるように、それは一目瞭然なのです。つまり、人間の高ぶりこそが弱者を顧みず、世界の戦争や悲惨を生み出していることを知るべきです。聖書はまた、「愛は自慢せず、高慢になりません」と教えています。つまり、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち167
アントニオいのち“A tree is known by its fruit. “A tree is known by its fruit.” 英語の諺として知られているこのことばは、実は聖書のマタイ12:33に記されているもので、イエスに反目していた当時のユダヤ人指導者、パリサイ人たちに向かって語られた主のことばです。直訳すると「木はその実でわかる」です。これをルカの福音書では、「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(ルカ7:16-17)と記しています。昨今、日本のリーダーたちの不祥事が明らかにされています。地位、名誉、財産、利権が彼らの実であるとするなら、それは本当に悲しいことです。聖書では「良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます」と... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち166
アントニオいのち狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。(マタイ7:13) 今から50年ほど前、たまたま手にしたジョン・バニアン原作の『天路歴程』を読み、冒頭の聖句を印象深く暗誦したのを思い出します。主人公のクリスチャンが破滅の町から天の都を目指して旅に出るのです。しかし、道中、様々な試練や誘惑に遭遇し、ようやく辿り着いたある町の門で出会った善意という人から、「天の都を目指すなら、苦難を恐れずに旅を続けなければならない」と励まされるのです。今朝方、私は奈落の底に落とされ、もがき苦しんでいる夢を見ました。私は、そこから這い上がろうと、様々な道や門を通り、天路歴程の主人公クリスチャンの歩みをヒントに、「自... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち165
アントニオいのち“私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。”(詩篇119:14,16) この詩篇は1篇で176節もある聖書中最長で、ヘブル語のアルファベット22文字から連なり、8行ずつ同じ頭文字から始まります。それらは、ほとんど神のことばを「おきて、ことば、あかし、さばき、さとし、悟り、戒め、仰せ、定め、道」のいずれかのことばで綴られているのです。この14節の「あなたのさとしの道」は、ヘブル文字の2番目の「ベース」から始まっています。詩人は、自らが苦難と窮乏の中にあるのにも関わらず、「あなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しみ喜んでいる」と心の底から歌っているのです。それは、万物の創造者で... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち160
アントニオいのち「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20) クリスマスが間近に迫っています。救いの御子がこの世に来てくださり、私たちの心の扉をノックしておられます。それは、天地万物を創造された偉大な神が、この世を愛し、信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを持つために私たちに与えてくださった恵みのギフトです。もし、あなたがこのクリスマスに心の戸を開きイエス・キリストをあなたの心に迎え入れるなら、「平和の君」と言われる恵みの主イエス・キリストがあなたの食卓に着き、あなたもイエスとともに食卓の恵みにあずかるこ... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち158
アントニオいのち神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) この聖句は、聖書66巻全体の中心主題とも言える重要な箇所です。ここには、神は私たちが住むこの世を愛して、御子を信じる者が永遠のいのちを持つために、ひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったとあります。これこそ、神が私たち人類に与えてくださった最高のプレゼントであり、私たちは、この「永遠のいのち」を無償で持つ者とされるのです。しかし、見過ごしてはならない要件が一つあります。それは、「御子(キリスト)を信じる者」が与えられ持つことができる特権なのです。貴金属の鑑定士が熟練するまで... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち156
アントニオいのち「こどもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」(1ヨハネ3:18) 真実な愛は、岩のような固い心をも打ち砕く神の力です。このことばを記した使徒ヨハネは、弟子たちの師である主イエスの一番弟子ペテロを差し置いて、自らを「イエスが愛された弟子」(ヨハネ21:20)と書き記し、イエスに豊に用いられました。ヨハネの福音書の他に第一と第二ヨハネの手紙を書き記し、さらには聖書巻末の壮大な終末の預言、「ヨハネの黙示録」を記しました。彼は、短気ですぐに怒りやすい性格から、「ボアネルゲ」(雷の子)と主にあだ名を付けられるほどでした。しかし、後のヨハネは、愛に満ちた人となり、主の母マリアのお世話をするようになり、多くの人々にキ... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち155
アントニオいのち「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6) この詩篇23篇を英国の名説教家スポルジョンは、「天国を歌ったダビデの牧歌」であり、「まさしく詩篇の真珠である」と表現しています。特に冒頭に掲げた最後の6節、「私はいつまでも主の家に住まいます」は、天国における永遠の住まいを表しています。この地上で、主の 「いつくしみ(トーブ/goodness)と恵み(ヘセド/love)」が、背中を押すようについて来る(goodness and love will follow me)というのですから、なんという信仰の確信でしょう。今から21年前、私の母が天に召される時、私は母の枕元で、暗唱していたこの詩篇23篇を声に出し...