アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち190
「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。(1コリント13:2) これは、『愛の章』と呼ばれる有名な使徒パウロのことばです。キリスト者であれば、誰でも捕まえて投獄するという意気に燃えていた迫害者サウロが、キリストとの出会いによって、神の愛を世界に伝える宣教者に変えられるのです。有名なパスカルの『パンセ』の中に「神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう」とあります。ただ知っていると言うのと神を愛し、その愛に生きるのとでは雲泥の差があります。教会の迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられたパウロ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち189
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2コリント5:17) 先日、撮影取材を兼ねて信仰を共にする写真仲間と十和田湖・奥入瀬渓流へとカメラを持って出かけた。朝4時半に出発し、戻ったのは夕方だった。ヘトヘトに疲れたが、目に入った大自然は、まさに神の創造の世界で、その雄大な自然の色彩と光、空気感に圧倒され、見るものすべてが新しい感覚にされている自分に気づかされた。まさに「見よ、すべてが新しくなりました」を実感させていただいたのだ。ネイチャーフォトは得意ではない私だが、今回ばかりは切り込み方が違っていた。奥入瀬の水の流れに、いのちの躍動を感じ、森林の木漏れ日か... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち188
『あなたの罪は赦された』というのと『起きて歩け』というのと、どちらが易しいか。(マタイ9:5) この2、3週間、私の右耳の調子が悪く、耳栓をした感じで難聴状態が続いていました。それはストレス性ではないことは確信しており、自分では温泉で耳に水が入り、それが原因だと思い我慢していました。しかし、ある会議の進行中、人の話が聞こえず、とうとう翌朝一番で耳鼻科に行き、診察を受けたのです。するとなんと、「耳が垢で詰まっています」と医師が言い、器具を突っ込んで引っ張ったら、スポッと栓が抜ける感じで、一回で正常に戻ったのです。本当に気分爽快でした。あとは通院必要なしということです。 今回、掲げた聖句は、中風の人が友人たちに床に寝かせられたまま主の元に... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち187
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」(イザヤ43:19) このことばは、今から2700年ほど前、敵の脅威の中で、四面楚歌の中にあるイスラエルの民に向かって、預言者イザヤによって語られた主のことばです。私たちの人生にも私たちを取り巻く様々な困難があります。そんな状況下で、イザヤは声を大にして「見よ、わたしは新しいことを行う」という主のことばを語るのです。それから700年ほどして、このイザヤの預言は成就します。それは完了形で、「見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)と使徒パウロが力強く語ります。しかし、それは条件文であり、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた」(同)というのです。英語な... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち186
「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(マルコ5:34) 思い煩いや心配で心騒ぐこの世にあって、なんと愛と慰めに満ちたことばでしょう。これは実は、12年もの間、長血を患っていた女が、イエスさまの衣に触れさえすれば、癒されると信じ、人混みの中で主の衣に触り、癒された後に、主イエスが彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言い、「安心して帰りなさい」と続くのです。私自身も、少年時代、「気管支炎、肋膜炎、肺結核」で入退院を繰り返すいつ死んでもおかしくない脆弱な人間でした。そんな息子を案じて、41歳でクリスチャンとして天に召された父が、「まっこ(マッキー)元気でいろよ」とポツリとひとこと言って息を引き取ったのです。 まさ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち183
「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。」(イザヤ41:14) この預言者イザヤが発した神のことばは、すぐ後には、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(43:4)という神からのラブコールと変わります。私はふと、子ども唱歌の『手のひらに太陽を』を思い出し、くちずさんでいました。「ぼくらはみんな生きている。生きているから歌うんだ…。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ。友だちなんだ。」天地万物をお造りになられた神は、いのちあるものすべてを「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」(創1:28)と祝福され、その管理を最初の人、アダムとエバに委ねられたのです。したがって... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち182
「むちと叱責は知恵を得させる。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。」(箴言29:15) 小さなわがままが成長し、大きくなると高慢になり、争いや悲惨を引き起こすまでに至ります。しかし、主イエスを信じる信仰は、「からし種ほどの小さな信仰でも、山に向かって『ここからあそこに移れ』といえば移るのです。」(マタイ17:20)と、大きな力になることを、主は弟子たちに教えられました。子供の救いの聖歌の20番に『うるわしき朝も』があります。2番目の歌詞に、「わがままを捨てて人々を愛し、この日の務めをなさしめたまえや」とあります。 聖書はまた、「心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち181
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1-2) 『ミッドライフ・クライシス』(中高年の危機)ということばがワイドショーで取り上げられていた。第二の思春期とも言われ、人生の折り返し地点における喪失感や倦怠感でうつ病を発症することも多く、中高年の八割がこれを経験していると言うのだ。中高年といえば、登山に例えればちょうど山の中腹を超えた時点です。上を見上げれば、まだ先が長く、不安と恐れが頭をよぎるのだ。しかし、冒頭に掲げた詩篇には、「都上りの歌」との表題があり、天地万物を造られた神を礼拝するために喜びいさんで都に上る信仰者の姿を歌っています。続く3節にこうありま... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち180
「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この聖句は昔、私が生涯献身を求めて断食祈祷していた京都のビジネスホテルの一室で与えられたものです。なかなか確信が与えられず悶々としていた朝方、たまたま開いていたページがこの詩篇73篇でした。この聖句に触れたとき、私は直感で、主が諭し導いてくださるのなら、私はありのままで従おうと決心したのです。そして、「後には栄光のうちに受け入れてくださる」ということばには、主の十字架による勝利と栄冠が輝いて見えたのです。 あれから、早くも40年になろうとしています。振り返ると間違いなく主の諭しと導きは真実であり、残された人生にも神の栄光の希望が溢れているのです... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち179
「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」(詩篇4:1) 新改訳2017では、「追いつめられたとき、あなたは私を解き放ってくださいました。」と訳され、完了形で記されています。この「ダビデの賛歌」の4章1節の前後には、神に対する叫びと祈りがあります。つまり、敵に追い詰められ、危機的状況の中で、神に向かって祈り求め、解放されて平安を得たというのです。私たちの危機的状況にも、物理的、精神的なものが多々あります。経済的な心配、人間関係による思い煩いなど、やり場のない状況に追い詰められることがあります。このようなときに、キリスト者は、救い主イエス・キリストの御名により、義なる神に向かって具体的助けを祈り求めることができる...