アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち238
ダビデが自分の家に住んでいたとのことである。ダビデは預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にある。」(第一歴代17:1) 私たちは今、『みことばの光』を通して第一列王記を通読し、ダビデの子ソロモンが荘厳な神殿を七年で建て、さらに自分のために神殿の四倍もある宮殿を十三年かけて建設したところを学んでいます。父ダビデが神に許されなかった神殿建設が息子ソロモンによって実現するのです。しかし、その背後にあるのは今朝のみことばのように、父ダビデの信仰が土台にあることを忘れてはなりません。ダビデは息子のために、有り余るほどの金、銀、銅、宝石、そして優れた職人たちを残していたのです。第一歴代誌22... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち236
“何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。”(1ペテロ4:8) このペテロのことばは、「万物の終わりが近づきました。」(v.7)との前節に続くものです。昨今、社会の核である家族の間に悲惨な事件が相次いで起きています。特に若い世代の短絡的、衝動的な事件が目につきます。デジタル化社会の中で、人との触れ合いが希薄になったためでしょうか。また世界規模の紛争にも徹底的に相手を潰すことが目的とされているようです。「共存、共栄」という愛と平和の理念はどこに行ったのでしょうか。冒頭の聖句を思うに、箴言10章12節の「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう」が頭に浮かびます。冒頭の「何よりも互いに熱心に愛し合いな... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち235
“私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。”(1テモテ1:14) 神の恵みが心にあふれるとはどんなことでしょう。「恵み」とは聖書の最も重要なキーワードの一つです。ギリシャ語では「カリス」で、恩恵、寵愛、優しさを意味することばですが、新約聖書では、イエス・キリストの十字架の死と復活によってもたらされる救いによる新しいいのちが無償であり、人種を超えて広く世界の人々に及ぶことを強調することばです。それは、十字架のキリストを信じる者に与えられる無償の恵みであり特権です。使徒パウロは、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)とも述べています。罪深... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち234
悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:21) 私は勝負にこだわるボクサーでした。アマとプロで試合をし、勝ちも負けも経験しました。相手を打ち負かして勝利したときの喜びは、それまでの減量苦や受けたパンチの傷などは勲章にように思えたくらいです。そんな私がある日、絶望のどん底に陥ったときに、聖書のみことばに触れ、キリストの十字架の愛を知り、信仰によってまことの勝利を知ったのです。「私たちの信仰、これこそ世に打ち勝った勝利です。」(ヨハネ5:4)私は今、このみことばを実感しています。パウロはこの素晴らしい恵みのゆえに「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません」(v.14)と注意を... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち232
“ たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。”(1コリント13:2b) 使徒パウロは、キリストの十字架の愛こそが、私たちに一番大切であることを強調して教えています。どんなに感動的な素晴らしいことをして見せても「愛がなければ、何の役にも立ちません」とまで言い切っているのです。さらには、「いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です」とまで言い張るのです。少年時代、生意気で愚かだった私は、失恋によって本当の愛について考えるようになり、教会に通い、聖書を通してキリストの愛を知るようになりました。キリストの十字架の愛を知ったとき、暗かった心に光がさして、嘆きが喜... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち231
“主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる”(詩篇31:23) イスラエルの統一王であるダビデが、様々な苦難の中にあって目を向けたものは、敵の脅威ではなく、すべてをご存知の力に満ちた助け主である神であった。悪者は罠を張ってダビデをおとしめようとするが、ダビデは主に信頼し、神の民イスラエルの王としての誠実を持って最善を尽くそうと常に神を見上げ、神の助けと導きを祈りつつ待ち望みました。彼は詩篇16篇でもこう歌っています。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことはない」と。反対に高ぶる者どもは、高慢を持って神を侮り、結局は自ら墓穴を掘って滅びに至ることを聖... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち230
わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかには神はいない。(イザヤ45:5) 本年の受難週5日目を迎えました。私たち人類の罪をその身に背負い、ひとり黙々と十字架の道を歩まれた神の御子イエス・キリストの苦難を覚えます。次週の主日はイースターを迎え、私たちは復活の主を讃えます。主を「私はあの人を知らない」と三度否んだ弟子のペテロは、後に聖霊に満たされ、捕えられたユダヤ議会の中央に立って、「この方以外には、だれによっても救いはありません」と、天地万物を創造された神の絶対的主権が、このキリストにあることを大胆に語りました。 冒頭の聖句でも、預言者イザヤが、「わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち229
“機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。”(エペソ5:16) 今回は、パウロの獄中書簡と言われる手紙からです。世に迎合し、神を悲しませる混乱した悪い時代にあって、神の子とされたキリスト者が如何に生きるべきかをパウロは教えています。まずは「神に倣う者となりなさい」と、次に、「愛のうちに歩みなさい」です。そして、「光の子どもとして歩みなさい」と続きます。スポーツの世界で、「ピンチはチャンス」ということばがよく用いられます。冒頭の聖句は、まさに「悪い時代だからこそ機会を十分に活かす」とも読み取れます。主イエスは、「あなたがたは地の塩、世の光です」(マタイ5:13-14)と仰せられました。まさに、世の腐敗を防ぐ塩となり、闇を照らす光となるのが... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち227
人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。(箴言19:21) 私たち人間には、夢があり希望がありますが、歳を重ねるごとに、現実の厳しさに夢破れ、失望し、途方に暮れることがあります。さらには、心配や思い煩いに心が支配されることもあるのです。 そんな私たちに、聖書は「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7)と教えています。冒頭の聖句は、人は神に信頼し、神の目的に従うときに、調和が保たれ、計画が実現するという意味です。 今もなお愚かな私は、72歳になり、今でも夢を抱いて歩ませていただいています。4年前に、43年間連れ添った妻に先立たれ、寂しさの中に... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち225
「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(II コリント4:16) ドイツの精神科医ポール・トウルニエの著書、『人生の四季』の中で、ポール氏は「人間の生では、秋にさえ春が来ることがある」と書き述べています。実際に、彼が関わった80歳を超える老教授がキリスト信仰に導かれ、「私は自分が、今生まれたばかりのみどり児のような気がする。私の人生はいま始まったのだ」と神との出会いによる心の変化を口にしたというのです。私は三日前に72歳の誕生日を迎えました。人生の四季に例えるなら、すでに秋のただ中に生きているのですが、私の心は、新芽が息吹く春の季節を迎えている気分なのです。これと同じことを四年前、妻が天に召される一ヶ月前に、...