アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち219
“ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことでしょう。”(雅歌7:6より) これは、ダビデの子、賢者ソロモンの雅歌の一節です。『雅歌』とは、英語訳では、「Song of Songs]とされ、『歌の中の最も優れた歌』という意味です。言い換えれば、「雅やかな歌」と言えるでしょう。神とイスラエルの関係を、愛する人との関係になぞらえて、その恋の切なさ、愛の喜びを歌っているのです。この節の「あなたはなんと美しく、麗しいことよ」とは、どんなに美しい女性が多くいたとしても、あなただけが私の最も愛する人であり、あなたを恋慕うその思いは、私の喜びとなり、心の潤いとなると歌っているのです。これは、現代に適用するなら、救い主キリストと教会の関係であると... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち218
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13) この聖句を思うとき、昔読んだことのあるアンドレ・ジットの『狭き門』という小説を思い起こします。「狭き門」というと、いつの時代も受験生にとっては難関をイメージするでしょう。しかし、主イエスが言われた「狭き門」とは、「永遠のいのちに至る門」であり、「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる」という、天の神の溢れるばかりの恵みであることを教えているのです。今は牧師として生きている私は、かつては落ちこぼれ少年で、何をやっても中途半端な人間でした。挙げ句の果てには大きく道を外し、警察に補導されることしばしば、母の悲しみ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち217
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(2コリント1:4) ある人は、「人生は苦痛の連続」と言います。一生懸命、真面目に生きても、それが報われず、喪失感に陥ることがしばしばあります。しかし、私たちには、キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちたお方がともにおられるのです。パウロはこう続けます。「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」(v.5)と。キリストの苦難は、私たちを罪の苦しみから救い出し、キリストにある新しいいのちへと導くためなのです。なんと素晴らしい愛と恵みでしょう。私自身、今も自らの弱さのゆえに失敗し、失意落胆することがあります。... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち216
しかし、主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。(2コリント12:9) 使徒パウロには、自らが「肉体のとげ」と形容するほどの厳しい病を抱えていました。トゲとは、本来、鋭く尖った木の槍を指し、それが「とげ」を意味するようになりました。彼が言う肉体のとげとは、まさに「主の十字架」のようであると言えるでしょう。彼は苦しみの中で、このとげを去らせてくださいと三度、主に願ったのです。しかし、主の答えは、「私の恵みはあなたに十分である」との冒頭のことばです。私は今、インフルエンザに罹患し、夜もうなされるほどの体調不良にあります。しかし、感謝なことに、うなされている間もみことばのブロッ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち215
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ7:12) 新年二日目の早朝、まだ布団に入って寝ていた時間に、家の外で車が雪にハマって身動き取れないでいる様子がエンジンの回転音やタイヤの空回りの音で知らされた。窓の外を見ると大雪で、一台のタクシーがスタックして身動き取れないでいた。外は大雪で、しかも氷点下、「どうしたものか…。」と考えていたら、私の心は、冒頭のみことばに押し出され、すぐに起き上がり、厚着をしてスコップを手に外に出た。男性がもう一人外に出ていたので、二人がかりで雪を掘り起こし、車を押して、ようやく脱出させた。運転手さんは、「こんな朝早く、ほんとうにありがとうご... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち214
「大事なのは新しい創造です」 What counts is the new creation.(ガラテヤ6:15) 2024年もあと一週間を切りました。大きく揺れ動く世界情勢のただ中にあって、キリストの教会に生きる私たちは、心を合わせて神の平和を願い求めます。それは具体的には、一人でも多くの人がキリストの贖いの十字架の愛と恵みを知り、新しいいのちを持つことです。 冒頭の聖句は、「割礼を受けているかいないか」という、うわべだけの信仰が大事なのではなく、生きるいのちの存在そのものが新しく造り変えられているかどうかが重要だというのです。私が知っている一人の女性は、20年の間、精神的病に苦しみ、ご両親もそのために悶々とした生活を送っていました。ある時、お友だちに教会のクリスマ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち212
“ 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。”(1ヨハネ4:10) 私たちは今、アドベントの第二週を過ごしています。世界は今、前代未聞の出来事が相次いで勃発し、いつ私たちに飛び火してもおかしくない様相を呈しています。「クリスマス」、それは、神が、私たち人間の罪を贖うための「宥めのささげ物としての御子」(His Son as an atoning sacrifice for our sins.)の誕生を覚えるときです。天地万物を創造された偉大な神が、私たちを罪の滅びから救い出すために、御自身のひとり子を私たちの犠牲としてこの世に与えてくださったのです。使徒ヨハネは「それによって神の愛が私たち... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち211
“心の一新によって自分を変えなさい。” Be transformed by the renewing of your mind. (ローマ12:2) 私たちは今、2024年のクリスマスを迎えようとしています。クリスマスは、天地万物を創造された唯一絶対の偉大なる神が、私たちを罪の滅びから救うために御子イエスをこの世に与えてくださった恵みのときです。聖書は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)と教えています。自分を自分の力で変えることはできませんが、神が御子イエス・キリストの十字架の死と復活の大きな愛と恵みによって、私たちに新しいいのちの希望を与えてくださるのです。これが「新しい心」(Th... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち210
主を求めよ。お会いできる間に。呼び求めよ。近くにおられるうちに。(イザヤ55:6) 今、私たちの周りは心騒ぐことで溢れています。何が真実なのかを見極めることさえ難しくなっています。ふと気が付けば、自分も偽りの中にどっぷり浸って、その中でもがき苦しんでいるのです。冒頭の聖句は、預言者イザヤがバビロン捕囚(BC586)という南ユダの危機的状況の中で、目を覚まして神に立ち返るようにと叫んだことばです。 新約聖書のヤコブの手紙でも「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(4:8)とあります。預言者のことばはこう続きます。「主に帰れ。そうすれば主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(v.7)... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち208
「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1) In the beginning God created the heavens and the earth. 「人とはいったい何者?私は何のために生きている?」と、人はその人生の道のりの中で、しばしば生きる指針を見失うことがあります。つまり正しい目標を見出せなくなるのです。そのようなとき、私たちは、私たちの存在という出発点に立ち返ることが大切だと聖書は教えています。 今から2700年前、イスラエルの預言者イザヤは、取り巻く大国の脅威の中でおじまどうイスラエルの民に向かって、「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」(イザヤ43:26)と、彼らに存在の原点に立ち返るように叫びました。つまり、創世記1章1節にある天地万物の創...