アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち273
アントニオいのち
「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」(ヨハネ12:15) 私たちを取り巻く社会の先行きには心配事が絶えません。さらに、国家を取り巻く世界情勢が緊迫した状況にあるなら、私たちの心は、心配から「恐れ」に変わります。冒頭の聖句は、自分たちをローマの圧政から解放してくれる、ダビデ王のような戦いに長けた力ある王の到来を待望していたユダの民たちに、いよいよその日た来たときの場面です。娘シオンとは、ユダの民全体を指しています。そして、「あなたの王がロバの子に乗って来られる」というのです。フランスの皇帝ナポレオンが腰に剣を帯びて、威風堂々と名馬に跨っている姿とはまるで違います。イエスは丸腰で、しかもロバの子に乗って、1... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち272
アントニオいのち
“ 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々、わたしはあなたを助ける。−主の御告げ− あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。”(イザヤ41:14) この主のことばは、恐れたじろぐようなことがあっても、主は彼らの神として、 彼らに三つの約束を与えています。「わたしはあなたを強め、あなたを助け、あなたを守る」(v.10)…と。「虫けら」と他から軽蔑されるようなことがあっても、長きに渡るエジプトの奴隷状態から贖い出してくださった救いの神が、彼らに力を与え、豊かに用いて、主の勝利を与えてくださるというのです。私たちが信じる全能の神は、このような文脈の中で、預言者イザヤを通して、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛して... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち271
アントニオいのち
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4) “ Rejoice in the Lord always. I will say it again: Rejoice! ” (ピリピ4:4)これは、「喜びの書」と言われるピリピの教会の兄弟たちに宛てて書かれた使徒パウロの有名なことばです。信仰によって神の子とされ、永遠のいのちを約束されたキリスト者といえどもこの世の歩みは前途多難です。迫害もそうですが、大敵は自分自身の心からふつふつと湧き上がる思い煩いです。不安、心配、思い煩いこそ、私たちをキリストの愛から引き離す一番の難敵です。冒頭の聖句は「喜べ」と命令形で記されています。それは<in the Lord always>とあるように「いつも主にあって」可能なのです。そしてパウロは続けます。「... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち270
アントニオいのち
涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126:5-6) この詩篇の表題は『都上りの歌』です。「主がシオンを復興してくださったとき」とありますので、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放された時に詠われたものです。詩人は、「私たちは夢を見ている者のようであった」、「主は彼らのために大いなることをなさった」と語ります。このことばに、私たちの思いと主の御業に大きなギャップがあることがわかります。一つは、捕囚という辛い現実の中で、「私たちはこれで終わりだ」とあきらめてしまう民の姿と、「まるで夢をいているようだ」という神の御業の素晴らしさです。もう一つは、冒頭の... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち268
アントニオいのち
“ まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追ってくるでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。”(詩篇23:6) 「主は私の羊飼い」で始まる有名な詩篇23篇のダビデの賛歌です。この詩篇は、イスラエルの統一王であったダビデ自身が、自らの人生を振り返り、どんなときにも共にいて、小さく弱い羊のような自分を守り導いてくださった主の御力と恵みに感謝して主を讃えたものです。 詩篇90:10のモーセの祈りに、「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年、そのほとんどは 労苦とわざわいです。」とあります。この七の数字は聖書では完全数ですから、ここでは、その与えられた人生をまっとうし、さらに生きながらえたとしても、結局のところ、そのほとんどが... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち267
アントニオいのち
“ 神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。”(1コリント1:9) 「交わり」とは、原語のギリシャ語では「コイノニア」です。それは、援助、支援、分かち合うなど、共同享受の他に、キリストにある霊的交わりを意味することばです。使徒パウロは、この「コイノニア」について語った後に、教会の兄弟たちに次のように注意を促します。「あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。」(v.10)教会は、私たちの罪のために十字架に死に、復活されたキリストのからだです。仲間割れとは分裂です。それはキリストのからだを引き裂くことと同じです。... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち266
アントニオいのち
「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」(ヨハネ1:9) Merry Christmas! 2025年も主の恵みによって生かされ、クリスマスを迎えることができました。冒頭の聖句の「まことの光」こそ、救い主イエス・キリストです。心の闇が、このキリストの光によって照らされる時、私たちは、自らの高慢、貪欲などの罪が明らかにされます。それは、自分本位で愛のない心です。私たちの主は、そんな罪人をお救いになるためにこの世に来られたとヨハネは記しています。同じヨハネ8章に、律法学者とパリサイ人が姦淫の現場で捕えたひとりの女を主の前に連れてきたとき、「あなたがたのうちで罪のない者が彼女に石を投げなさい」と言われました。年長者からひとりひとりが去っ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち265
アントニオいのち
“ そして、これらのすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。” (コロサイ3:14) クリスマスが間近に迫っています。天地万物を創造された絶対的主権者である神が、御自身の御子を惜しまずに、罪の世界に生きる私たちにお与えくださいました。それは、私たちがキリストを信じて罪赦され、永遠のいのちを持つためです。このクリスマスのキリストこそ、人類のための最大のギフトであり、平和の君です。冒頭の聖句の「これらすべての上に」とは、前節にある「慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、そして忍耐と赦し」です。これらのことを覚えて、「愛は結びの帯として完全」と言うことばを、心に刻みたいと思います。争いが絶えず、悲しい出来事が相次ぎ、情報が錯綜して... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち264
アントニオいのち
「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19:1) 2025年のクリスマスが間近に迫ってまいりました。今週月曜日の夜遅く、青森県内に大きな地震がありました。棚から物が落ちたものの、被害はありませんでした。予想外の大きな揺れに、私はすぐに天地万物をすべ治めたもう主の臨在と、やがて来たりたもう主の再臨を思いながら、周囲の安全を確かめ、静かに目を閉じていました。 主イエスご自身が、世の終わりの予兆として、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。」(マタイ24:7)と弟子たちにお教えになりました。まさに今がその時代であることを感じさせられています。主は弟子たちに、御自身がひとり孤独に十字架の... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち262
アントニオいのち
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(1コリント13:4) 第一コリント13章の『愛の章』といわれる有名な聖句です。この13章には、愛の本質と愛が否定する人の思いの両方が明確に記されています。アンドリューマレー著の『謙遜』に、「人の高ぶりこそ、キリストの贖いを必要とする最も大きな罪である」とあります。この私がキリスト信仰を持つきっかけとなったのは、病弱で入退院を繰り返していた少年時代のコンプレックスとボクサーとして活躍していた青年時代の高ぶりから、最も大切な愛を見失っていたのに気づいたことにあります。大言壮語し、ハッタリで見栄を張って生きていた愚かな私が、キリストの十字架の愛によって、...
