アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち208
アントニオいのち「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1) In the beginning God created the heavens and the earth. 「人とはいったい何者?私は何のために生きている?」と、人はその人生の道のりの中で、しばしば生きる指針を見失うことがあります。つまり正しい目標を見出せなくなるのです。そのようなとき、私たちは、私たちの存在という出発点に立ち返ることが大切だと聖書は教えています。 今から2700年前、イスラエルの預言者イザヤは、取り巻く大国の脅威の中でおじまどうイスラエルの民に向かって、「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」(イザヤ43:26)と、彼らに存在の原点に立ち返るように叫びました。つまり、創世記1章1節にある天地万物の創... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち207
アントニオいのち「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」(ルカ1:45) これは、マリアの親類であるエリサベツが、おとめマリアが救い主をその身に宿したことを知り、彼女に向かって語ったことばです。新改訳第3版では、「実現すると信じきった人は」と訳されています。 この前提には、「神にとって不可能なことは何もありません」(ルカ1:37)と、御使いがマリアに語ったことばにあります。私たちキリスト者は、礼拝の中で『使徒信条』を通して、「おとめ(処女)マリア」から救い主がお生まれになったことを告白しています。もうすぐクリスマスがやって来ます。世界中でクリスマスがお祝いされますが、このクリスマスの主イエスを、「私の救い主、わが神、わが主」として... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち206
アントニオいのちただこの一事に励んでいます。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる栄冠を得るために、目標目指して一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14) 人は、自分のことはさておいて、人の過去の失敗をほじくり返して話題にすることがある。先日、私がそんなことをしたら、大先輩のある先生が、「それは過去の事、もう話題にするのはやめなさい」とたしなめられた。そして、ハッと気づいたことは、私自身の過去の失敗の数々である。もしそれが一つひとつ明らかにされたなら、私は黙って立っていることさえ出来なくなってしまうのは明らかである。使徒パウロは、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち202
アントニオいのち「たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。」(1コリント12:2) どんなに素晴らしい賜物を持ち、完全な信仰を持っていても愛がなければ、私は無に等しいと使徒パウロは明言するのです。きょうは、アントニオいのちの配信日で、午前三時から目が冴えてしまい、「愛すること愛されること」について思い巡らしていました。そして、このパウロのことばを思い巡らしていたのです。私は今、十字架のキリストの愛によって日々新しいいのちを抱いて生かされていることに感謝と喜びに溢れています。そして、今の気持ちを自分流に表現したのが次のことばです。「愛は生きるいのちの原動力である。」英語だと<Love is the driving force of livin... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち201
アントニオいのち「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15) 今の時代、世は心騒ぐことで溢れています。落ち着いて静まることさえできない出来事でいっぱいです。どうすれば、安らぎを得、希望を持つことができるのでしょう。世の現実を見る限りにおいては、失意落胆するばかりです。冒頭の聖句は、今から2700年ほど前、ユダ王国の預言者イザヤが語ったものです。ユダ王国がこれまで助けを求めて信頼していたアッシリア帝国に裏切られ、王国存亡の危機に立たせられたとき、ユダの王とその取り巻きたちは、神に助けを求めるのではなく、南の大国エジプトに貢ぎ物をもって助けを求めるのです。そんな文脈の中で、イザヤは、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち200
アントニオいのち主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。主の恵みはとこしえまで。(詩篇136:1) 『いのちのパン』が節目のNo.200となりました。2021年からはじめて一回も休止することなく続けられています。かつて何をやっても三日坊主だった少年が成人になってキリスト信仰を持ち、180度人生が変えられました。そして、その信仰が50年過ぎた今も継続されており、いのちの希望に溢れているのです。冒頭の聖句は、神の民イスラエルが礼拝で用いる交誦賛美で、136篇全ての節の後半が「主の恵みはとこしえまで」と繰り返されているのです。天地万物を創造された神の絶対的主権とイスラエルに対する救いの御業が告白され、永遠に変わることのない神の愛と恵みが讃えられているのです。この夏、私が所... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち199
アントニオいのち「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7) 私たちの人生には思い煩いや心配がつきものです。夫婦、家族、友人などの人間関係、また生活における経済的なことなど、物事に真面目に向き合う人ほど心配や思い煩いは募るものです。そして失望し、心が病む人のなんと多いことでしょう。「心配するな」と励ましてくれる友はいても、そのことばは虚しく響きます。しかし、天地万物を創造され、私たちに生きるいのちを与えてくださった偉大な神が、私たちを滅びから救い出すために御子イエス・キリストの十字架をもって永遠のいのちへと導き入れてくださったのです。ここに神の愛が示され、「彼に信頼する者は... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち198
アントニオいのち「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」(箴言15:16) この聖句の前節に、「わずかな物を持って主を恐れることは、豊かな財宝を持って混乱するよりも良い」(v.15)とあります。日本は豊かな国だと思われがちですが、実のところ貧困ライン以下の生活困窮者が6人に1人の2000万人が存在するとのデーターがあるのです。物価が高騰し、生活に大きく影響が出始めている昨今です。しかし、問題の本質は、私たちの心の中にあることを覚えるのです。「政治と金」の問題にはうんざりさせられますが、聖書には「野菜を食べて愛し合う」こと、「わずかな物を持って主を恐れる」ことが、私たち神によって生かされている人間の「よりまさること」であり、「良... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち197
アントニオいのち「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント15:7) このたび、私と私の兄、そして私が所属する教会の長老の三人で『こいのにあ三人写真展』と題して、青森市内で写真展を開催させていただきました。私たちキリスト者三人が、それぞれのテーマと視点で自分の心象を写真表現してみたのです。うまく表現できたかというと、まだまだ不十分なのですが、それにしても、かつては自分本位でしか物事を見ることができなかった者が、キリストによって新しいいのちが与えられ、かつてなかった新しい視点で物事を捉えるようになったのは事実です。私自身は、いつ死んでもおかしくない病弱な少年で、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち196
アントニオいのち“ 顔が、水に映る顔と同じであるように、人の心は、その人に映る。” これは、箴言27章19節のことばです。「心」、それは、私たちの感情の倉であり、喜怒哀楽がストックされています。 また私たちの性格も、その人の心をあらわしていると言えるでしょう。私が友人牧師から教えられ,感銘を受けたある牧師の詩をご紹介します。タイトルは『心と顔』です。 “心が外にあらわれて顔 顔が内にはいって心 あたたかい心がやさしい顔 つめたい顔がけわしい心 どこにいても心と顔は一つ ” 聖書は、心は自我の座であると同時に、サタンの座にもなり、またキリストの聖霊の座ともなることを教えています。つまり私たちの心が何によって導かれ、支配されているかが大事になるのです。私が大...