アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち248
悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みがその人を囲んでいる。(詩篇32:10) この聖句は、『悔い改めの七つの詩篇』(6,32,38,51,102,130,143)と呼ばれるもの2番目です。神の前に自らの罪を悔い、赦しと恵みを与えられた者として、信仰の教訓を歌っているのです。この聖句は、ダビデ自身が体験したことであり、「多くの痛み」(直訳) とは、嘆きと悲しみ、不安と恐れに心が支配されることです。しかし、罪を悔い改め、神を信頼するならば、「神の恵みがその人を取り囲む」というのです。神の恵みとは、苦しみからの解放であり、滅びからの救いを意味します。このところ私は、信頼関係を損なう出来事を連続で経験し、失意落胆していました。そんなとき、私自... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち246
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31b) 私たちクリスチャンは、十字架の死と復活のキリスト・イエスを信じ、新しいいのちに生きる者とされました。それゆえに私たちは日々キリストの御霊に導かれ、神の子としての人生を歩んでいるのです。しかし、私たちをこの恵みから引き離そうとするサタンが、あらゆる方法で私たちを試み、罪に陥れようと策略を講じています。 私たちは、自分で良かれと思うことから、神から離れて行動し、失敗することが多々あります。私たちが神から離れて行動することを一番喜ぶのは悪魔であるサタンです。けれども、私たちの一番の敵は、自分の中にひょっこり現れる不信仰なのです。冒頭の聖句の前節に、「神はあ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち245
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28) この主イエスのことばは、「救い主の招き」と呼ばれ、このことばが語られてから現代に至るまでの二千年間、国を超え、言語を超え、世界中の人々に慰めと平安を与え、いのちの救いへと導いて来ました。 それは天地万物の創造者である神との新しい関係をもたらし、十字架の死に勝利されたキリストの復活のいのちにあずかる恵みと特権でもあります。この主イエスより、さらに千年さかのぼる時代に、イスラエルの統一王ダビデがその晩年、神と自分との関係を次のように歌いました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち242
年配の男の人を叱ってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。(1テモテ5:1a) エペソの教会の牧師として、その働きを担う若きテモテに対し、パウロは霊の父親としての立場と思いをもって、この戒めをテモテに与えています。このことは、旧約聖書においては、神の人モーセが民に向かい、神とのシナイ契約を繰り返すかたちでこう言いました。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ19:32)今の時代は年齢に関係なく「公平、平等」が強調されています。年長者の若年層に対する強い言動は、今では「パワハラ」として捉えられ、社会問題にまで発展するのです。かつて昭和の時代に普通と思われて... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち241
“ 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。”(マタイ 5:4) このみことばは、主イエスの「八福の教え」の二番目です。この世には理不尽なことが多く、傷つき落胆し、立ち上がることさえ出来なくなることがあります。それゆえに世は、悲しみから解放するためにあらゆる手段を講じて楽しむことを提供します。しかし、それらのために用いられる金銭やエネルギーは、悲しみという心から逃避する目的の現れに過ぎません。 この箇所の並行記事であるルカ6章25節には、否定文でこう記されています。「今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。」主がここで語っておられるのは、霊的な意味での悲しみです。世の価値基準とは真逆なのです... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち240
“ 栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。”(マタイ6:29) 「この花」とは、人間が栽培して育てた花ではなく、大自然の野生の花を指しています。そして、「野の花(ユリ)」がどうして育つか、よく考えなさい」と言ってソロモン王を引き合いに出すのです。野生の花には力強い生命力と美しさがあります。この度、私は津軽国定公園の荒磯に咲くニッコウキスゲやスカシユリを見て、この主のことばを実感しました。実に象牙に純金をかぶせた王座に座り、銀を石のように使ったというソロモンが、「この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」というのです。実にソロモンの栄華はすぐに下降線をたどり、あっという間に消え失せてしまいます。BC586年にはバビ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち239
「あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」(2テモテ2:22) パウロの「牧会書簡」と呼ばれる若き愛弟子テモテへ宛てた手紙です。「情欲を避けよ」とは、本来は、性的不純、暴飲暴食、賭け事など、この世の快楽を意味します。しかし、すでに神の良き働き人であったテモテには、別の意味での肉欲、「短気、論争、功名心、野心など」陥りやすい弱点があったとパウロには思われたのです。「避けなさい」とは、それらの思いから立ち去る、逃げ去ることです。そして、パウロの願いは、きよい心で真実な神の「義と信仰と愛と平和」を主にある者たちとともに「追い求めよ」と言うのです。人は心の高ぶりから争いを引き... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち238
ダビデが自分の家に住んでいたとのことである。ダビデは預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にある。」(第一歴代17:1) 私たちは今、『みことばの光』を通して第一列王記を通読し、ダビデの子ソロモンが荘厳な神殿を七年で建て、さらに自分のために神殿の四倍もある宮殿を十三年かけて建設したところを学んでいます。父ダビデが神に許されなかった神殿建設が息子ソロモンによって実現するのです。しかし、その背後にあるのは今朝のみことばのように、父ダビデの信仰が土台にあることを忘れてはなりません。ダビデは息子のために、有り余るほどの金、銀、銅、宝石、そして優れた職人たちを残していたのです。第一歴代誌22... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち236
“何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。”(1ペテロ4:8) このペテロのことばは、「万物の終わりが近づきました。」(v.7)との前節に続くものです。昨今、社会の核である家族の間に悲惨な事件が相次いで起きています。特に若い世代の短絡的、衝動的な事件が目につきます。デジタル化社会の中で、人との触れ合いが希薄になったためでしょうか。また世界規模の紛争にも徹底的に相手を潰すことが目的とされているようです。「共存、共栄」という愛と平和の理念はどこに行ったのでしょうか。冒頭の聖句を思うに、箴言10章12節の「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう」が頭に浮かびます。冒頭の「何よりも互いに熱心に愛し合いな... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち235
“私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。”(1テモテ1:14) 神の恵みが心にあふれるとはどんなことでしょう。「恵み」とは聖書の最も重要なキーワードの一つです。ギリシャ語では「カリス」で、恩恵、寵愛、優しさを意味することばですが、新約聖書では、イエス・キリストの十字架の死と復活によってもたらされる救いによる新しいいのちが無償であり、人種を超えて広く世界の人々に及ぶことを強調することばです。それは、十字架のキリストを信じる者に与えられる無償の恵みであり特権です。使徒パウロは、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)とも述べています。罪深...