アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち227
人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。(箴言19:21) 私たち人間には、夢があり希望がありますが、歳を重ねるごとに、現実の厳しさに夢破れ、失望し、途方に暮れることがあります。さらには、心配や思い煩いに心が支配されることもあるのです。 そんな私たちに、聖書は「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7)と教えています。冒頭の聖句は、人は神に信頼し、神の目的に従うときに、調和が保たれ、計画が実現するという意味です。 今もなお愚かな私は、72歳になり、今でも夢を抱いて歩ませていただいています。4年前に、43年間連れ添った妻に先立たれ、寂しさの中に... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち225
「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(II コリント4:16) ドイツの精神科医ポール・トウルニエの著書、『人生の四季』の中で、ポール氏は「人間の生では、秋にさえ春が来ることがある」と書き述べています。実際に、彼が関わった80歳を超える老教授がキリスト信仰に導かれ、「私は自分が、今生まれたばかりのみどり児のような気がする。私の人生はいま始まったのだ」と神との出会いによる心の変化を口にしたというのです。私は三日前に72歳の誕生日を迎えました。人生の四季に例えるなら、すでに秋のただ中に生きているのですが、私の心は、新芽が息吹く春の季節を迎えている気分なのです。これと同じことを四年前、妻が天に召される一ヶ月前に、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち223
悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだから。詩篇37篇1-2節 私たちは、「目には目を、歯には歯を」という旧約の律法を用いて、敵対する相手ととことんやり合ってしまうことがあります。聖書は、それは大きな間違いであることを教えています。ダビデがサウル王に仕えていたとき、王の妬みからいのちを狙われ、また王になってからも息子に謀反を起こされ、いのちを狙われます。そんなダビデが、常に心を注いで祈り求めたのは、ダビデが常に信頼して祈る神の助けでした。そして彼が確信したのが、「主に信頼し、善を行え。地に住み誠実を養え。」(v.3)ということです。今回のみことばは、その前の1節... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち222
「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2) これは、主イエスの兄弟ヤコブが、エルサレムにおける迫害によって各地へ散らされた兄弟姉妹たち(ディアスポラ)に宛てて書いたものです。信仰の結ぶ実は、「愛、喜び、平安・・・」であるはずが、現実には、なんと「様々な試練」となり、その身に危害を及ぼす事になっているのです。そこで、エルサレムにおける教会の長老であったヤコブが、苦難の中にある彼らを励ますために、「試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい」というのです。ありがたくない試練を、「この上もない喜びとする」とは、いったいどうすればとよいのでしょう。 ヤコブは、こう続けます。「信仰が... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち221
” 私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。"(詩篇62:1-2) このダビデの賛歌は、王としてのダビデが息子アブシャロムに謀反を起こされ、いのちを狙われるという重圧の中で、神に望みを置く者としての幸いを告白しています。「神から救いが来る」というダビデの信仰の確信は、「神こそわが岩」という、神の力と絶対的主権、その不変性を表しています。「揺るがされない」とは、ダビデの強い確信です。 私たちも、思わぬ出来事の中で戸惑い悩むことがありますが、このダビデの信仰の確信を覚え、私たちの救い主イエス・キリストは、どんな苦難からも私たちを救い出してくださる恵みに溢れるお方... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち220
“木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。”(ヨブ記14:7) このことばは、旧約聖書のヨブ記に登場するヨブという人が、度重なる災いで家族と財産を失い、自らも悪性の腫物に覆われ、生きる屍と化した状態の中で口にしたものです。彼は万物の創造者である神を信じる誠実な人で、その信仰が大いに祝福され、幸いな生活を送っていました。しかし、突如として数々の苦難に襲われ、その心が揺さぶられるのです。ヨブにとっては不条理と思われる苦しみの中で、彼は自然界の木々に目をとめ、「木には望みがある」と、それでも神に望みをおくのです。世界は今、相次ぐ飛行機事故や突然の災いで、多くの尊いいのちが失われています。「神がいるな... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち219
“ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことでしょう。”(雅歌7:6より) これは、ダビデの子、賢者ソロモンの雅歌の一節です。『雅歌』とは、英語訳では、「Song of Songs]とされ、『歌の中の最も優れた歌』という意味です。言い換えれば、「雅やかな歌」と言えるでしょう。神とイスラエルの関係を、愛する人との関係になぞらえて、その恋の切なさ、愛の喜びを歌っているのです。この節の「あなたはなんと美しく、麗しいことよ」とは、どんなに美しい女性が多くいたとしても、あなただけが私の最も愛する人であり、あなたを恋慕うその思いは、私の喜びとなり、心の潤いとなると歌っているのです。これは、現代に適用するなら、救い主キリストと教会の関係であると... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち218
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13) この聖句を思うとき、昔読んだことのあるアンドレ・ジットの『狭き門』という小説を思い起こします。「狭き門」というと、いつの時代も受験生にとっては難関をイメージするでしょう。しかし、主イエスが言われた「狭き門」とは、「永遠のいのちに至る門」であり、「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる」という、天の神の溢れるばかりの恵みであることを教えているのです。今は牧師として生きている私は、かつては落ちこぼれ少年で、何をやっても中途半端な人間でした。挙げ句の果てには大きく道を外し、警察に補導されることしばしば、母の悲しみ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち217
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(2コリント1:4) ある人は、「人生は苦痛の連続」と言います。一生懸命、真面目に生きても、それが報われず、喪失感に陥ることがしばしばあります。しかし、私たちには、キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちたお方がともにおられるのです。パウロはこう続けます。「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」(v.5)と。キリストの苦難は、私たちを罪の苦しみから救い出し、キリストにある新しいいのちへと導くためなのです。なんと素晴らしい愛と恵みでしょう。私自身、今も自らの弱さのゆえに失敗し、失意落胆することがあります。... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち216
しかし、主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。(2コリント12:9) 使徒パウロには、自らが「肉体のとげ」と形容するほどの厳しい病を抱えていました。トゲとは、本来、鋭く尖った木の槍を指し、それが「とげ」を意味するようになりました。彼が言う肉体のとげとは、まさに「主の十字架」のようであると言えるでしょう。彼は苦しみの中で、このとげを去らせてくださいと三度、主に願ったのです。しかし、主の答えは、「私の恵みはあなたに十分である」との冒頭のことばです。私は今、インフルエンザに罹患し、夜もうなされるほどの体調不良にあります。しかし、感謝なことに、うなされている間もみことばのブロッ...