アントニオいのち– category –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち264
アントニオいのち
「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19:1) 2025年のクリスマスが間近に迫ってまいりました。今週月曜日の夜遅く、青森県内に大きな地震がありました。棚から物が落ちたものの、被害はありませんでした。予想外の大きな揺れに、私はすぐに天地万物をすべ治めたもう主の臨在と、やがて来たりたもう主の再臨を思いながら、周囲の安全を確かめ、静かに目を閉じていました。 主イエスご自身が、世の終わりの予兆として、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。」(マタイ24:7)と弟子たちにお教えになりました。まさに今がその時代であることを感じさせられています。主は弟子たちに、御自身がひとり孤独に十字架の... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち262
アントニオいのち
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(1コリント13:4) 第一コリント13章の『愛の章』といわれる有名な聖句です。この13章には、愛の本質と愛が否定する人の思いの両方が明確に記されています。アンドリューマレー著の『謙遜』に、「人の高ぶりこそ、キリストの贖いを必要とする最も大きな罪である」とあります。この私がキリスト信仰を持つきっかけとなったのは、病弱で入退院を繰り返していた少年時代のコンプレックスとボクサーとして活躍していた青年時代の高ぶりから、最も大切な愛を見失っていたのに気づいたことにあります。大言壮語し、ハッタリで見栄を張って生きていた愚かな私が、キリストの十字架の愛によって、... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち261
アントニオいのち
「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21) キリスト者の価値観はどこにあるのでしょうか。今朝のみことばは、そのことが問われています。キリスト者といえども、その心が、地位・名誉・財産・快楽など、この世の世俗的な価値観に押し流されてしまうことがあります。それは現代におけるキリスト教大国家においてもそうですし、旧約聖書を見れば、まさに神の民イスラエルがそうでした。旧約の預言者たちは、そんな民たちに対して「偶像から立ち返り、天地創造の唯一絶対の神に信頼せよ」と叫び続けましたが、結局のところ、彼らは神の声に聞き従うことなく、バビロン捕囚によって、イスラエル国家は滅亡してしまうのです。私たちの信仰は、神のことばを... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち259
アントニオいのち
「見よ。わたしはすべての肉なる者の神、主である。わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか。」(エレミヤ32:27) この聖句は、預言者エレミヤがバビロン軍によるエルサレム包囲中、監禁されていた状況下で主によって語られたことばです。南ユダ王国は滅亡の危機にありました。この絶望的な状況の中で、神はエレミヤに彼の故郷アナトテの畑を買い戻すように命じます。このとき、エルサレムは陥落寸前で、土地の価値は大暴落していました。このような状況で土地を購入することは人間的視点からは、まったく無意味なことでした。しかし、このエレミヤの畑の購入は、バビロン捕囚後の回復と帰還を象徴するものでした。神はイスラエルの民が再び故郷に帰り、家と土地を購入し、安ら... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち258
アントニオいのち
“そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる」” (エレミヤ31:13) この聖句は、南ユダのバビロン捕囚からの帰還と神との関係の回復というユダの民にとっての大きな希望が語られています。『涙の預言者』と呼ばれるエレミヤ書全体の中でも特に慰めと希望に満ちた『慰めの書』と呼ばれる部分です。かつて破壊され、火で焼かれ、嘆きと悲しみに包まれていたエルサレムとユダの地に、再び新しいいのちの喜びが満ち溢れる様子が描かれています。それは単に物理的な再建だけではなく、民の信仰心、霊的な回復をも意味しているのです。このエレミヤ書の「悲しみを喜びに変え」とは、神の救済計画の究極... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち257
アントニオいのち
“ 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。” (ローマ8:19) 2025年は日本国内においてアーバンベアの出没が相次ぎ大騒動となり、尊い人のいのちも失われています。問題のクマたちも生き長らえるために必死なのでしょう。このことは、私たち人間の手によって自然体系が大きく変えられてしまったことが起因しているのです。冒頭の聖句は、被造物さえも現在の困難や不完全な状態から解放されることに希望を持っていると言うのです。神は創造のはじめに「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。…地を這うすべての生き物を支配せよ。」(創1:28)と最初の人アダムとエバを祝福しました。これは、人間が神の被造世界の良き管理者としての務めを委ねられてい... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち256
アントニオいのち
“ 主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。” (詩篇126:1) あなたはこれまでの人生の中で、夢のような幸せを感じたことがありますか? 私は、キリストを信じ、50年以上になりますが、苦しみの中にあっても不思議と心に平安が与えられ、ひしひしと幸せを感じることがあります。冒頭の詩篇の表題には、『都上りの歌』とあります。イスラエルの民は、年に3回行われる「過越の祭り・七週の祭り・仮庵の祭り」という三大祭りの際に、家族や村の仲間と一緒に声を揃え、主を讃えながらエルサレムの神殿を目指して都に向かったのです。「元どおり」とは、バビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還という神による奇蹟... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち254
アントニオいのち
“ 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」” (ローマ10:11) 人を信頼して、裏切られるような思いをし、失意落胆することはよくあることです。しかし、パウロは、「この方に信頼する者はだれも失望させられない」と教えています。「この方」とは、救い主イエス・キリストを指しています。この聖句は、イザヤ書28章16節の引用ですが、イザヤは、「シオンに一つの石を礎の石として据える」と語っています。これは、神がご自身の救いの計画として「一つの石」を置くという約束が、キリストの十字架の死と復活によって成就することを指し示しているのです。人に裏切られ、失望することがあったとしても、分け隔てなく、私たちの罪のた... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち253
アントニオいのち
" あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。"(1ペテロ1:23) 私たちの教会では、兄弟姉妹の誕生日を覚えて祝福の『Happy Birthday』 を皆で歌います。そのとき、私がいつも思うのは、キリストを信じ「新しいいのち」をいただいたときのことです。“古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました”(IIコリント)のみことばに、罪赦され、神の子とされた人生は、いのちの糧である「神のことば」によって豊かに成長することを実感しているのです。ペテロは、冒頭の聖句の文脈で、「草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とイザヤのことばを引用しています。私たち人間には限界... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち251
アントニオいのち
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるに時があり、死ぬのに時がある。(伝道者3章1節-2節a) 昔、米国のピート・シーガーと言うフォーク歌手が伝道者の書3:1をもとに『Turn! Turn! Turn! 』というリフレインを入れて歌ったフォークソングを今でも覚えています。その歌い出しは、To everything (turn, turn, turn)There is a season (turn, turn, turn)で、「すべての事には時があり、季節は巡る」というのです。(turn, turn, turn)は、「巡る」というニュアンスです。つまり、この聖句にある「誕生と死」という、人の人生でさえ「天の下」、つまり、神の御手の中で事がなされると言うのです。 しかし、これは...
