ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。
エズラ記一章一節
主が事を行う時に [聖書]エズラ記1:1-11
「わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか」(イザヤ43:13)とのみことばに、この世における主の絶対的ご主権を覚えさせられます。
先週配信した「いのちのパン」にも記しましたが、「人の思いを超えた主のご計画」が時にかなって実現することに、私たちの主は、「そういうことは必ず起こります」(マタイ24:6)と、終末の予兆として起こるべき事柄についても、キリスト御自身のご主権について教えておられます。
今、私たちが通読している旧約聖書を新約の光を当てて読み取るなら、神が預言者を通して語られた事が、ことごとく成就していることを知るのです。
したがって、キリストによって救われ、キリストにあって生きる私たちは、私たちの思いをはるかに超えた神のご計画が実現するようにと祈りつつ、みことばに使えて歩むことが大切なのです。
本日のエズラ記1章に見るペルシアのキュロス王によるユダヤ民族のエルサレム帰還は、第二の出エジプトとも言われる前538年の歴史的事実です。
人の考えでは推し量ることができないことを、神は御自身の思いのままに人を動かし、お用いになられることを共に学んでまいりたいと願っています。
1.ありそうもない人を主は
昔、ジョン・ストットの「みことばの光」のような小冊子に、「神は御自身の計画を遂行するために、ありそうもない人々をお用いになられる」とあり、神はイサクの兄エソウでなく、弟のヤコブを御自身の民の祖先として選ばれたとの解説があったことに、大きな励ましを受けました。
また、イスラエルの祖先として、主は兄ではなく末のダビデを、さらには遊女ラハブをも御自身の計画遂行のお用いになられたというのです。
2.70年という歳月の後に
「人の齢は70年、健やかであっても80年」(詩90:10)とあります。
まさに長いようで短い70年に、主はエレミヤを通して語られたユダヤ民族のエルサレム帰還をペリシアの王キュロスの霊を奮い立たせて実現させるのです。
家族の救いのために、長いこと祈っていたが、ダメだったとあきらめてはいないでしょうか。
主は思いもよらない人の霊を奮い立たせることがお出来になるのです。
3.預言者イザヤによっても
預言者イザヤの時代はエズラ記よりも200年も前です。
イザヤはキュロス王の主に油注がれ、御自身の民の救済のためにお用いになられることを預言しているのです。
イザヤ書45章1節から7節までを開いて確認しましょう。