あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。
詩篇十六篇二節
幸せになるために [聖書]IIコリント5:17
本日は、みなさんとご一緒に、イエス・キリストによって与えられた神の恵みについて確認し、いのちあるものの幸せについて学んでまいります。
本日の週報には、先週の礼拝の写真を載せています。
ワンコのまさるも一緒にいます。
人間が大好きで、自分が生きていることをいつも喜んでいます。
それは、家族や接する皆様から、豊かな愛情を注がれているからなのです。
まだ生後七ヶ月のワンコでさえ、そうだとするなら、人間なら、どれだけ幸いな人生を送ることができるでしょう。
「いつも喜び、絶えず祈り、全ての事について感謝」できる生活は、最高の幸せです。
それは、キリストの十字架によって示された神の愛を知り、心に受け入れて実現できる神の恵みです。
本日は、第二コリント5章17節を中心にお話をいたします。
この節の要点は、「だれでキリストのうちにあるなら」(If anyone is in Christ,)条件文で、その条件とは、is in Christです。
つまり、私たちの罪のために死んで甦られたキリストを信じ受け入れるなら、人は新しくされ、見るもの全てに新たな価値観が与えられ、喜びに満ちた幸いな人生へと導かれて行くのです。
1.新しい知り方で人を知る
使徒パウロは、「かつて私は、肉にしたがって人を知り、キリストを知っていましたが、今はもうそのような知り方はしません」(v.16)と言っています。
それは生まれ変わっていない人間の姿、うわべで人を判断するという意味です。
そして17節の「ですから」と続くのです。
人の標準的考え方ではなく、キリストのうちにある霊的な目で人を見、キリストを見て新しい創造を知るのです。
2.キリストによる新生
あすなろの教会員名簿には、みなさんの生年月日と受洗年月日が記されています。
それはキリスト者として新しく生きる者とされた証です。
十字架に死に、復活の主にあって新しく生きることに、人間的な価値観から創造者の霊的な新しい創造の価値観へと生まれ変わったのが私たちキリスト者です。
3.見よ、すべてが新しく
嫌な自分が綺麗さっぱり処分されて、神によって新しく生まれ、神の愛と恵みの中に生きられるってなんと素晴らしい事でしょう。
「古いものは過ぎ去って」とは、一度限りの出来事で、「新しくなりました」とは完了形が用いられています。
しかもその結果がずっと継続するのです。
キリストとともに歩む人生こそ、最も幸いな生き方なのです。