ぶれない信仰とは

 わが神よ。私はあなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは、私の心のうちにあります。詩篇40篇8節

[聖書]詩篇40:1〜10      

今朝のみことばは、現在みなさんと通読している詩篇からです。私たちの信仰は、使徒ヨハネが、「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」記しているように、(1ヨハネ5:4)その絶対的な確信のゆえに、主のみこころを行うことを喜びとできるのです。今朝もまた、主の前に自らの信仰を吟味し、誘惑の多いこの時代にあって、「ぶれない信仰」を保ち続けることができるように、自らの信仰の土台を確認させていただきましょう。このあと聖餐式が行われます。ただ儀式にご利益があるという気持ちでは、本当の信仰者とはいえません。パンと杯にどのような意味があり、それをどう理解しているのかが真に問われているのです。ぶれない信仰とは、その土台が堅固なのですから。「私たちを滅びの穴から引き上げ救い出してくださった恵みの神が、私たちの足を巌に立たせ、私の歩みを確かにされた」(v.2)それは、神の御子イエス・キリストによって、私たちのうちに成就されたのです。神の御教えは、救い主イエス・キリストによって具現化したことを私は信じています。「私はクリスチャン」と言う信仰が、何を持ってそう言うのかを再確認させていただきましょう。

1.救われた喜び
 信仰の喜びとは何でしょう。それがこの40篇冒頭の「主は私の願いと叫びを聞いてくださり、私を滅びの穴から引き上げ、堅い巌の上に立たせ、その歩みを確かにしてくださった」というのです。ダビデは、その生涯、死の淵を彷徨う経験をしつつも、常に主を見上げて歩みました。それゆえに、救いの確信と新しい歌が溢れ流れるのです。

2.主が喜ばれる礼拝とは
 5節と6節は、ダビデが偉大な神を「わが神」と突然二人称で語り、「あなたに並ぶ者はありません」と呼ばわりながら、その偉大な神に向かってささげる礼拝のあり方、その本質について、サムエルが語った「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(1サム15:22)と自らの礼拝の姿を表明するのです。

3.ぶれない信仰とは
さて、私たちのぶれない信仰の根拠はどこにあるのでしょう。それは、8節から10節にあります。「主のみこころとみおしえをわが喜びとする」(v.8)ことです。また「主の恵みとまこと」(v.10)を、賛美をもって証し、神の義の上に堅く立つことです。それは、主が山上の教えで「神の国と神の義を求める」と教えられたことと同じです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

目次
目次
閉じる