いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ4:4
[聖書]ピリピ4章1節〜7節
先週は東金ハウスチャーチの礼拝で、皆さんと共に救い主イエス・キリストの父なる神を賛美し、礼拝できました。お祈りを感謝いたします。クリスチャンは、初対面であっても、救いの神にあって、天に国籍を持つものとして、一つの家族、兄弟姉妹であることを覚えさせていただいています。本日は、先週千葉のハウスチャーチで分かち合ったピリピ4章4節を中心に、「私たちの喜びの源泉」というテーマで、メッセージを取り継がせていただきます。もうすでに皆さんが暗唱している聖句です。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」この「喜べ」という動詞は、命令形で二度記されています。つまり、「もう一度言います」と念を推すように繰り返しているのです。そして、その喜びが継続的でかつ習慣的であり続けるようにと促しているのです。この大変な時代に喜び続けるのは大変なことです。けれども、パウロは、「いつも主にあって」<in the Lord always>と喜びの源泉が、インマヌエルの神、私たちの救い主の父なる神にあることが明確にされているのです。この神の恵みが常に私たちの内にあるから喜び続けることができるのです。
1.喜びえない状況の中でも
このピリピ人への手紙は、「喜びの書簡」とも言われ、この書全体に16回も「喜び、喜べ」とのことばが用いられています。しかし、この手紙を記したパウロの現実は、AD61年頃、キリスト教迫害などで悪名高いローマ皇帝ネロによって、ローマの獄中に投獄されていた時に書き記されたものです。ゆえに、「獄中書簡」とも称されているのです。
2.私たちの国籍は天にある(v.20-)
幼少時代、病弱な少年が、ボクサーになり、牧師になるという奇蹟を主によって経験し、新生体験をさせていただき、私の人生には180度のどんでん返しが起こり、毎日がクリスマスとイースターのダブル祝宴なのです。3章後半の「私たちの国籍は天にある」と言う信仰の確信がその喜びの源泉なのです。
3.私たちの喜びの源泉
私の好きなみことばに「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです…古きは過ぎ去り、見よ、すべてが新しく…」2コリント5:17があります。新しいとは、古くなる新しさではなく、常にリニューアルされる新しさを意味します。喜びも廃れる喜びではなく、常に喜びがリニューアルされるのです。それは、「キリストにあるなら」<if anyone is in Christ>なのです。
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