2025年– date –
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主の愛とあわれみのゆえに
説教要約
その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である主と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、主とその素晴らしさにおののく。ホセア書3章5節 [聖書]ホセア書3:1〜5 ホセアは、イスラエルのアッシリヤ捕囚直前の危機的時代の預言者です。 「涙の預言者」と言われたエレミヤが南ユダのために涙を流したように、ホセアは北王国イスラエルのために涙にむせぶ預言者です。当時のイスラエルは堕落の極みに達しており、もはや神の審判を免れ得ない状況にありました。 私が毎朝、特定の方々に配信している先週木曜朝の「今朝のみことば」で、この書の概観を次のように説明しています。ホセア1章の書き出しで、主はいきなりイスラエルの預言者ホセアに姦... -
苦難の時にこそ
説教要約
あなたはモーセとアロンの手によって ご自分の民を 羊の群れのように導かれました。詩篇77篇20節 [聖書]詩篇 77:1-20 『みことばの光』による聖書通読は、第一列王記を終え、詩篇77篇に移りました。第一列王16章からアハブ王が登場し、最後の22章に至るまで、彼の22年間の様子が描かれていました。 シドンの王の娘を妻とし、イスラエルにバアル信仰を持ち込み、民を神から引き離し、バアルとまことの神と対決を平気で容認し戦わせるアハブ王には、狡猾で強引な面と性格的には幼児的で稚拙な面があることを聖書は記しています。彼がアラムの王ベン・ハダドと一戦を交える20章では、アハブの名前が消え、「イスラエルの王は」と記されています。こうしたアハブ王に関する七... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち242
アントニオいのち
年配の男の人を叱ってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。(1テモテ5:1a) エペソの教会の牧師として、その働きを担う若きテモテに対し、パウロは霊の父親としての立場と思いをもって、この戒めをテモテに与えています。このことは、旧約聖書においては、神の人モーセが民に向かい、神とのシナイ契約を繰り返すかたちでこう言いました。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ19:32)今の時代は年齢に関係なく「公平、平等」が強調されています。年長者の若年層に対する強い言動は、今では「パワハラ」として捉えられ、社会問題にまで発展するのです。かつて昭和の時代に普通と思われて... -
主のことばのとおりに
説教要約
エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。第一列王記17章16節 [聖書]1列王記17:1-24 『みことばの光』による聖書通読は、今朝は第一列王記の19章に入り、神の預言者エリヤがただ一人で、カルメル山でバアルの預言者450人とアシェラ預言者400人と対決し、圧倒的な勝利をおさめたことが描かれています。 神の預言者にはふた通りあると言われています。一つは、イザヤのようなことばの人です。彼は預言書イザヤ書を記しました。あとは、エリヤのような行動の人です。神のことばを信じ大胆に行動し、奇蹟を行なって見せるのです。 ことばを書き残す暇もないほどに行動的なのです。その彼を表現している様子が18章46節... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち241
アントニオいのち
“ 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。”(マタイ 5:4) このみことばは、主イエスの「八福の教え」の二番目です。この世には理不尽なことが多く、傷つき落胆し、立ち上がることさえ出来なくなることがあります。それゆえに世は、悲しみから解放するためにあらゆる手段を講じて楽しむことを提供します。しかし、それらのために用いられる金銭やエネルギーは、悲しみという心から逃避する目的の現れに過ぎません。 この箇所の並行記事であるルカ6章25節には、否定文でこう記されています。「今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。」主がここで語っておられるのは、霊的な意味での悲しみです。世の価値基準とは真逆なのです... -
神を信じるということ
未分類
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。使徒17章24節 [聖書]使徒17:21-28a 本日は6月第五週の主日です。先に中村姉が信仰による恵みの証しをお話ししてくださいました。神を信じて生きるとは、どんな時にもキリストの御救いと聖書のみことばを第一に信頼して歩むことです。詩篇16篇8節のように、それが私たちに揺るがぬ平安と希望を与えてくださるのです。キリストから離れて、私たちキリスト者は何もすることができないのです。このたび、私たちは第一列王記から神から与えられた知恵と知識によって栄華を極めたソロモン王の生涯について学ばせていただきました。10章までがその興隆期... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち240
アントニオいのち
“ 栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。”(マタイ6:29) 「この花」とは、人間が栽培して育てた花ではなく、大自然の野生の花を指しています。そして、「野の花(ユリ)」がどうして育つか、よく考えなさい」と言ってソロモン王を引き合いに出すのです。野生の花には力強い生命力と美しさがあります。この度、私は津軽国定公園の荒磯に咲くニッコウキスゲやスカシユリを見て、この主のことばを実感しました。実に象牙に純金をかぶせた王座に座り、銀を石のように使ったというソロモンが、「この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」というのです。実にソロモンの栄華はすぐに下降線をたどり、あっという間に消え失せてしまいます。BC586年にはバビ... -
神を悲しませることによって
説教要約
まず神の国と神の義を求めなさい。 マタイ6章33節 [聖書]1列王11:26-43 先週水曜夜の祈祷会では、1列王記8章から、神殿奉献におけるソロモンの素晴らしい祈りを学びました。神殿建設とその信仰が民全体に大きな喜びと祝福をもたらし、さらには「地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るようになるために」(8:60)と、ダビデが果たせなかった大事業をソロモンが実現するのです。 この11章に入る前の10章は、ソロモン王の絶頂期だと言えるでしょう。アラビア半島からソロモンを謁見に来訪したシェバの女王は、ソロモンの知恵と宮殿のすべてを見て感動し、金や多く宝石を送り、イスラエルの神を讃えるのです。またソロモンは自分のために数多... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち239
アントニオいのち
「あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」(2テモテ2:22) パウロの「牧会書簡」と呼ばれる若き愛弟子テモテへ宛てた手紙です。「情欲を避けよ」とは、本来は、性的不純、暴飲暴食、賭け事など、この世の快楽を意味します。しかし、すでに神の良き働き人であったテモテには、別の意味での肉欲、「短気、論争、功名心、野心など」陥りやすい弱点があったとパウロには思われたのです。「避けなさい」とは、それらの思いから立ち去る、逃げ去ることです。そして、パウロの願いは、きよい心で真実な神の「義と信仰と愛と平和」を主にある者たちとともに「追い求めよ」と言うのです。人は心の高ぶりから争いを引き... -
荘厳の背後にある油断
説教要約
こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。第一列王7章51節 [聖書]1列王7:38-51 ソロモン王には、父ダビデの四十年間の統治には果たせなかった神殿建設という大事業が委ねられました。ダビデ王はウリヤの妻バテシェバとの取り返しのつかない大罪を犯すものの、預言者ナタンにその罪を指摘されたとき、「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いし心。」と、徹底的な悔い改めをもって神の前にへりくだり、神の赦しを得たのです。ダビデの統治中は、イスラエルの内外に戦いが絶えませんでした。それゆえに神殿建設はダビデには許されなか...
