2025年7月– date –
-
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち245
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28) この主イエスのことばは、「救い主の招き」と呼ばれ、このことばが語られてから現代に至るまでの二千年間、国を超え、言語を超え、世界中の人々に慰めと平安を与え、いのちの救いへと導いて来ました。 それは天地万物の創造者である神との新しい関係をもたらし、十字架の死に勝利されたキリストの復活のいのちにあずかる恵みと特権でもあります。この主イエスより、さらに千年さかのぼる時代に、イスラエルの統一王ダビデがその晩年、神と自分との関係を次のように歌いました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ ... -
背信の民への愛
あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。ホセア12章6節 [聖書]ホセア書11:1〜12 連日猛暑が続いています。先週は北海道の北見で39度を観測しました。 地球温暖化による異常気象は、社会現象としても様々な影響を与えています。「アーバンベア」の出没もその一つです。また世界中で戦争が勃発し、先進国においては経済戦争が行われているのです。一方、その陰では、貧困と飢餓によって多くの尊い命が失われているのです。今私たちが通読して学んでいるホセア書は、現代の私たちキリスト者と教会に対して語られているメッセージとして耳を傾けるべきです。神の民イスラエルが、偉大な神の愛と恵みを忘れ、カナンの偶像バアルに身を売り... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち244
“ 神にとって不可なことは一つもありません。”(ルカ1:37) 昭和の日本ロック界の草分け的存在で、後にクリスチャンになり、ゴスペルシンガーとなり、牧師になった故小坂忠さんの最後の曲に、『私は奇跡を信じる』があります。その歌詞に「私は信じる。今でも奇跡はあると」とあります。まさに彼がクリスチャンになること自体が奇跡でした。愛娘が幼い時、頭から熱湯をかぶり大火傷したとき、クリスチャンであった妻の祖母と教会の祈りによって奇跡の回復をし、彼もまたイエス・キリストを信じ、牧師にまでなってしまうのです。この私自身も、幼少時代、気管支炎や結核を患い、いつ死んでもおかしくなかった存在でした。しかし、クリスチャンの母の祈りで奇跡の回復をし、さらにはプロボ... -
主の愛とあわれみのゆえに
その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である主と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、主とその素晴らしさにおののく。ホセア書3章5節 [聖書]ホセア書3:1〜5 ホセアは、イスラエルのアッシリヤ捕囚直前の危機的時代の預言者です。 「涙の預言者」と言われたエレミヤが南ユダのために涙を流したように、ホセアは北王国イスラエルのために涙にむせぶ預言者です。当時のイスラエルは堕落の極みに達しており、もはや神の審判を免れ得ない状況にありました。 私が毎朝、特定の方々に配信している先週木曜朝の「今朝のみことば」で、この書の概観を次のように説明しています。ホセア1章の書き出しで、主はいきなりイスラエルの預言者ホセアに姦... -
苦難の時にこそ
あなたはモーセとアロンの手によって ご自分の民を 羊の群れのように導かれました。詩篇77篇20節 [聖書]詩篇 77:1-20 『みことばの光』による聖書通読は、第一列王記を終え、詩篇77篇に移りました。第一列王16章からアハブ王が登場し、最後の22章に至るまで、彼の22年間の様子が描かれていました。 シドンの王の娘を妻とし、イスラエルにバアル信仰を持ち込み、民を神から引き離し、バアルとまことの神と対決を平気で容認し戦わせるアハブ王には、狡猾で強引な面と性格的には幼児的で稚拙な面があることを聖書は記しています。彼がアラムの王ベン・ハダドと一戦を交える20章では、アハブの名前が消え、「イスラエルの王は」と記されています。こうしたアハブ王に関する七... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち242
年配の男の人を叱ってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。(1テモテ5:1a) エペソの教会の牧師として、その働きを担う若きテモテに対し、パウロは霊の父親としての立場と思いをもって、この戒めをテモテに与えています。このことは、旧約聖書においては、神の人モーセが民に向かい、神とのシナイ契約を繰り返すかたちでこう言いました。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ19:32)今の時代は年齢に関係なく「公平、平等」が強調されています。年長者の若年層に対する強い言動は、今では「パワハラ」として捉えられ、社会問題にまで発展するのです。かつて昭和の時代に普通と思われて... -
主のことばのとおりに
エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。第一列王記17章16節 [聖書]1列王記17:1-24 『みことばの光』による聖書通読は、今朝は第一列王記の19章に入り、神の預言者エリヤがただ一人で、カルメル山でバアルの預言者450人とアシェラ預言者400人と対決し、圧倒的な勝利をおさめたことが描かれています。 神の預言者にはふた通りあると言われています。一つは、イザヤのようなことばの人です。彼は預言書イザヤ書を記しました。あとは、エリヤのような行動の人です。神のことばを信じ大胆に行動し、奇蹟を行なって見せるのです。 ことばを書き残す暇もないほどに行動的なのです。その彼を表現している様子が18章46節... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち241
“ 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。”(マタイ 5:4) このみことばは、主イエスの「八福の教え」の二番目です。この世には理不尽なことが多く、傷つき落胆し、立ち上がることさえ出来なくなることがあります。それゆえに世は、悲しみから解放するためにあらゆる手段を講じて楽しむことを提供します。しかし、それらのために用いられる金銭やエネルギーは、悲しみという心から逃避する目的の現れに過ぎません。 この箇所の並行記事であるルカ6章25節には、否定文でこう記されています。「今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。」主がここで語っておられるのは、霊的な意味での悲しみです。世の価値基準とは真逆なのです...
1