2025年5月– date –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち236
“何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。”(1ペテロ4:8) このペテロのことばは、「万物の終わりが近づきました。」(v.7)との前節に続くものです。昨今、社会の核である家族の間に悲惨な事件が相次いで起きています。特に若い世代の短絡的、衝動的な事件が目につきます。デジタル化社会の中で、人との触れ合いが希薄になったためでしょうか。また世界規模の紛争にも徹底的に相手を潰すことが目的とされているようです。「共存、共栄」という愛と平和の理念はどこに行ったのでしょうか。冒頭の聖句を思うに、箴言10章12節の「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう」が頭に浮かびます。冒頭の「何よりも互いに熱心に愛し合いな... -
信仰による希望
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。ヘブル11章6節 [聖書]ヘブル11:1-16 先週、カメラを片手に平和公園を散策して来ました。チューリップの花はしおれて散り、ツツジが真っ赤に咲いていましたが、私が目についてシャッターを切ったのは、木々の新緑の鮮やかさです(週報写真)。そして、厳しい寒さを耐えて来たその木々に、「木には望みがある。たとえ切られてもまた芽を出し、その若枝は絶えることがない」というヨブ記14章の聖句を思いました。人間は、人との信頼関係が崩れると孤立し、独善的な考え方に陥ります。それはクリスチャ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち235
“私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。”(1テモテ1:14) 神の恵みが心にあふれるとはどんなことでしょう。「恵み」とは聖書の最も重要なキーワードの一つです。ギリシャ語では「カリス」で、恩恵、寵愛、優しさを意味することばですが、新約聖書では、イエス・キリストの十字架の死と復活によってもたらされる救いによる新しいいのちが無償であり、人種を超えて広く世界の人々に及ぶことを強調することばです。それは、十字架のキリストを信じる者に与えられる無償の恵みであり特権です。使徒パウロは、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)とも述べています。罪深... -
永遠の大祭司イエス
イエスは、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。ヘブル7章27節 [聖書]ヘブル7:24-28「りんごの花が満開だ」という情報を耳にして、先週、浪岡の道の駅アップルヒルズに行き、初めてりんごの花をじっくりと観察し、撮影して来ました。枝から芽を出し、蕾となり、可憐な花を咲かせた後、それから立派なりんごの実を結ばせることに、主が弟子たちに語られた「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」(ヨハネ15:5)とのみことばを思い浮かべていました。 私たちキリスト者は、キリストに繋がっていて豊かな御霊の実を結ぶのです。パウロは... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち234
悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:21) 私は勝負にこだわるボクサーでした。アマとプロで試合をし、勝ちも負けも経験しました。相手を打ち負かして勝利したときの喜びは、それまでの減量苦や受けたパンチの傷などは勲章にように思えたくらいです。そんな私がある日、絶望のどん底に陥ったときに、聖書のみことばに触れ、キリストの十字架の愛を知り、信仰によってまことの勝利を知ったのです。「私たちの信仰、これこそ世に打ち勝った勝利です。」(ヨハネ5:4)私は今、このみことばを実感しています。パウロはこの素晴らしい恵みのゆえに「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません」(v.14)と注意を... -
私たちを執り成す大祭司
イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。ヘブル2章18節 [聖書]ヘブル2:1-18 昨日から『みことばの光』はヘブル書に入りました。本書は、「ヘブル人への手紙」とされているのに、発信者の名前も宛先も記されておらず、著者が誰であるかは断定されていません。使徒パウロが有力であるとされていましたが、その他にバルナバ、雄弁なアポロ、ルカ、シラス、ローマのクレメンスなどという名が挙げられましたが、決定的な証拠が無く、初代教父のオリゲネスが、「この書の著者は神のみぞ知る」という名言を残しました。また、この手紙の受取人についても不明ですが、全体の文脈から考えて、迫害と困難の中にあって、神から離れ... -
神と共に歩む祝福
もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それを行うなら、わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。レビ記26章3〜4節 [聖書]レビ記26:1-26 本日の週報の写真にあるように、先週金曜日の午前中に新田先生の畑で、ジャガイモの植え付け作業をさせていただきました。新田先生は、教会の子どもたちが土に触れ、大自然の中で心豊かに成長することを願って毎年、私たちに畑を提供してくださっています。大自然がもたらす収穫は、まさに神の恵みです。この天地万物を創造された恵みの神に対して、私たち人間が如何に生きるべきかが聖書の最も大きなテーマであり、学ぶべきポイントです。 レビ記は、出エジプ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち232
“ たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。”(1コリント13:2b) 使徒パウロは、キリストの十字架の愛こそが、私たちに一番大切であることを強調して教えています。どんなに感動的な素晴らしいことをして見せても「愛がなければ、何の役にも立ちません」とまで言い切っているのです。さらには、「いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です」とまで言い張るのです。少年時代、生意気で愚かだった私は、失恋によって本当の愛について考えるようになり、教会に通い、聖書を通してキリストの愛を知るようになりました。キリストの十字架の愛を知ったとき、暗かった心に光がさして、嘆きが喜...
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