私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。(2コリント5:16) この聖句の「私たち」とは、前節の「自分のために死んでよみがえられた方のために生きるため」とあるキリストの救いの恵みに生きるキリスト者を指しています。また「肉にしたがって人を知る」とは、前の新改訳第3版では、「人間的な標準」と訳されています。現代のことばで言うなら、「常識」と言うことになるでしょう。そうだとすれば、私たちが人間的な常識で考えるなら、キリストの愛は、罪人を愛し、罪人のためにいのちを捨てるという十字架の死と復活は、あり得ないことであり「非常識」だと言えるでしょう。そう...