2025年2月– date –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち223
悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだから。詩篇37篇1-2節 私たちは、「目には目を、歯には歯を」という旧約の律法を用いて、敵対する相手ととことんやり合ってしまうことがあります。聖書は、それは大きな間違いであることを教えています。ダビデがサウル王に仕えていたとき、王の妬みからいのちを狙われ、また王になってからも息子に謀反を起こされ、いのちを狙われます。そんなダビデが、常に心を注いで祈り求めたのは、ダビデが常に信頼して祈る神の助けでした。そして彼が確信したのが、「主に信頼し、善を行え。地に住み誠実を養え。」(v.3)ということです。今回のみことばは、その前の1節... -
自らを献げる信仰
主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むことではないか。ミカ書6章8節 [聖書]ミカ書6:1〜8 先週私たちは、『自らを献げる信仰』との本年度の主題を掲げて総会を行いました。本年の活動計画と予算、そして奉仕分担を決めました。これらのことすべては、私たちの信仰の証しとともに、主が命じられた福音宣教のために行われるのです。そして、何よりも大切なことは、その働き人である私たちが、神の民、レビ族の祭司のように、神とこの世の人々の間に入って救いの仲介者として神に仕えるためなのです。 今回の総会のことや、私自身のこと、そしてこ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち222
「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2) これは、主イエスの兄弟ヤコブが、エルサレムにおける迫害によって各地へ散らされた兄弟姉妹たち(ディアスポラ)に宛てて書いたものです。信仰の結ぶ実は、「愛、喜び、平安・・・」であるはずが、現実には、なんと「様々な試練」となり、その身に危害を及ぼす事になっているのです。そこで、エルサレムにおける教会の長老であったヤコブが、苦難の中にある彼らを励ますために、「試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい」というのです。ありがたくない試練を、「この上もない喜びとする」とは、いったいどうすればとよいのでしょう。 ヤコブは、こう続けます。「信仰が... -
自らを献げる信仰
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ12:1〜2 私たちは今、キリストの愛によって新しいいのちを与えられ生きています。 私にとって大切なお方がいつもともにおられるって、素晴らしいことです。 それがこの世の社会における人間関係においてもそうであるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。使徒パウロが「愛がないなら私は無に等しい」と言われたことをヒシヒシと感じています。 愚かな無に等しい私が、キリストの愛によって70過ぎまで生かされ、今も牧師としてここにいます。今、ちょっとした試みの中にありますが、ある意味、背筋がピリッとした... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち221
” 私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。"(詩篇62:1-2) このダビデの賛歌は、王としてのダビデが息子アブシャロムに謀反を起こされ、いのちを狙われるという重圧の中で、神に望みを置く者としての幸いを告白しています。「神から救いが来る」というダビデの信仰の確信は、「神こそわが岩」という、神の力と絶対的主権、その不変性を表しています。「揺るがされない」とは、ダビデの強い確信です。 私たちも、思わぬ出来事の中で戸惑い悩むことがありますが、このダビデの信仰の確信を覚え、私たちの救い主イエス・キリストは、どんな苦難からも私たちを救い出してくださる恵みに溢れるお方... -
自らを献げる信仰
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]レビ記1章1節~17節 本年の新しい主題を掲げて三週目に入ります。神の前に自らを献げるとは、「献身」を意味します。つまり、私をあなたの御用のためにささげますということです。それを今の私たちの信仰生活に適用するとどうすればよいのでしょう。 『みことばの光』の聖書通読は、ちょうど良いタイミングで「主にささげ物を献げる」(レビ1:2)という主旨の内容が記されているレビ記に入っています。 アブラハムの子孫として神に選ばれたイスラエルの民が、自らをきよめ、聖なる神との正しい関係を維持し、神と共に歩むために繰り返... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち220
“木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。”(ヨブ記14:7) このことばは、旧約聖書のヨブ記に登場するヨブという人が、度重なる災いで家族と財産を失い、自らも悪性の腫物に覆われ、生きる屍と化した状態の中で口にしたものです。彼は万物の創造者である神を信じる誠実な人で、その信仰が大いに祝福され、幸いな生活を送っていました。しかし、突如として数々の苦難に襲われ、その心が揺さぶられるのです。ヨブにとっては不条理と思われる苦しみの中で、彼は自然界の木々に目をとめ、「木には望みがある」と、それでも神に望みをおくのです。世界は今、相次ぐ飛行機事故や突然の災いで、多くの尊いいのちが失われています。「神がいるな... -
自らを献げる信仰
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ1:1~2 新年早々、思いがけない試練に遭遇し、眠られない日が続き、ストレス性心労から高血圧が続いています。せめて血圧が下がり健康が支えられるようにお祈りしていただけたら感謝です。 この春から、それぞれの家族にも教会にも新しい動きが見られます。それがどのような影響を与えるのかは、私たちの信仰と神の御手の中にあります。そうした変化を私たち自身がどのように受け止め、信仰によって対処して行くかが大切なことだと思っています。 今年度...
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