2024年– date –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち187
アントニオいのち「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」(イザヤ43:19) このことばは、今から2700年ほど前、敵の脅威の中で、四面楚歌の中にあるイスラエルの民に向かって、預言者イザヤによって語られた主のことばです。私たちの人生にも私たちを取り巻く様々な困難があります。そんな状況下で、イザヤは声を大にして「見よ、わたしは新しいことを行う」という主のことばを語るのです。それから700年ほどして、このイザヤの預言は成就します。それは完了形で、「見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)と使徒パウロが力強く語ります。しかし、それは条件文であり、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた」(同)というのです。英語な... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち186
アントニオいのち「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(マルコ5:34) 思い煩いや心配で心騒ぐこの世にあって、なんと愛と慰めに満ちたことばでしょう。これは実は、12年もの間、長血を患っていた女が、イエスさまの衣に触れさえすれば、癒されると信じ、人混みの中で主の衣に触り、癒された後に、主イエスが彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言い、「安心して帰りなさい」と続くのです。私自身も、少年時代、「気管支炎、肋膜炎、肺結核」で入退院を繰り返すいつ死んでもおかしくない脆弱な人間でした。そんな息子を案じて、41歳でクリスチャンとして天に召された父が、「まっこ(マッキー)元気でいろよ」とポツリとひとこと言って息を引き取ったのです。 まさ... -
神とともに生きる
説教要約旅路にある間、イスラエル全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。出エジプト記40:38 私たちは本年4月に入ってから出エジプト記を通読するようになり、6月4日、先週の火曜日に40章を読み終え、全体を通読することができました。先週の祈祷会では40章を開きながら、出エジプト記全体を振り返り、教えられたことを分かち合いました。私自身も、今から3500年前のイスラエル民族の出来事が、不思議と自分の事のように身近に感じられ、これらかの信仰生活の大きな指針をいただきました。それは、神から離れて不平不満で心を乱すのではなく、常に主に信頼し、みことばに聞きながら、どんなことがあっても、「神の国と神の義」を第一の優先事項として主... -
約束の地を目指して
説教要約モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行なっていた。そこでモーセは彼らを祝福した。出エジプト39章43節 いよいよ出エジプト記も明日で通読を終えます。生後三ヶ月でナイル川の葦の茂みの中に置かれた赤子のモーセは、なんとエジプトの王女に拾い育てられ、エジプトの王子としての教育を受け立派に成長するのです。そしてモーセ40歳の時に、同胞を救い出そうとするのですが、それは神の前には全く無力でした。むしろ彼は、ファラオに命を狙われ、ミデイアンの地に逃れ、イテロの羊飼いとしての40年を過ごします。モーセは、そこで神に使える救済者としての訓練を受けるのです。それは、熱心な律法学者で迫害者でもあったサウロが、世界の宣教者... -
ああ、いとも簡単に
説教要約主はモーセに言われた。「さあ、下りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまった。」出エジプト32章7節 本日の説教は、先週水曜夜の祈祷会と木曜午前の婦人会でも学ばせていただいた出エジプト記32章からです。 ここに至るまでの文脈として、神が民との契約の律法を定め、安息日を覚えて礼拝を厳守するようにと神の幕屋を作り、祭司と大祭司を定められました。こうして、神の契約を基に全イスラエルはモーセを先導者として祝福の約束の地を目指して前進するには、最高の状況が整えられたのです。しかしなんと、「にも関わらず」です。32章入ると信じられない大事件が起こるのです。それは、イスラエル最初の背教的行為で、金の子牛の偶像崇拝... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち183
アントニオいのち「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。」(イザヤ41:14) この預言者イザヤが発した神のことばは、すぐ後には、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(43:4)という神からのラブコールと変わります。私はふと、子ども唱歌の『手のひらに太陽を』を思い出し、くちずさんでいました。「ぼくらはみんな生きている。生きているから歌うんだ…。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ。友だちなんだ。」天地万物をお造りになられた神は、いのちあるものすべてを「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」(創1:28)と祝福され、その管理を最初の人、アダムとエバに委ねられたのです。したがって... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち182
アントニオいのち「むちと叱責は知恵を得させる。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。」(箴言29:15) 小さなわがままが成長し、大きくなると高慢になり、争いや悲惨を引き起こすまでに至ります。しかし、主イエスを信じる信仰は、「からし種ほどの小さな信仰でも、山に向かって『ここからあそこに移れ』といえば移るのです。」(マタイ17:20)と、大きな力になることを、主は弟子たちに教えられました。子供の救いの聖歌の20番に『うるわしき朝も』があります。2番目の歌詞に、「わがままを捨てて人々を愛し、この日の務めをなさしめたまえや」とあります。 聖書はまた、「心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち181
アントニオいのち「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1-2) 『ミッドライフ・クライシス』(中高年の危機)ということばがワイドショーで取り上げられていた。第二の思春期とも言われ、人生の折り返し地点における喪失感や倦怠感でうつ病を発症することも多く、中高年の八割がこれを経験していると言うのだ。中高年といえば、登山に例えればちょうど山の中腹を超えた時点です。上を見上げれば、まだ先が長く、不安と恐れが頭をよぎるのだ。しかし、冒頭に掲げた詩篇には、「都上りの歌」との表題があり、天地万物を造られた神を礼拝するために喜びいさんで都に上る信仰者の姿を歌っています。続く3節にこうありま... -
この世では旅人
説教要約寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからですある。出エジプト22章21節 今朝は、本日の「みことばの光」の通読箇所、出エジプト記の22章から学ばせていただきます。私たちは礼拝の聖書交読で繰り返し出エジプト記20章の「十戒」を司会者と交読しています。 3節から始まる十戒の前文は2節の「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」です。つまり、イスラエルは最初から神の民としての立場にあったのではなく、400年という長きに渡るエジプトの奴隷状態から神の恵みと導きによって解放され、神の民とされたことが十戒の大前提なのです。また十戒にはすべて「あなた」と二人称単... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち180
アントニオいのち「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この聖句は昔、私が生涯献身を求めて断食祈祷していた京都のビジネスホテルの一室で与えられたものです。なかなか確信が与えられず悶々としていた朝方、たまたま開いていたページがこの詩篇73篇でした。この聖句に触れたとき、私は直感で、主が諭し導いてくださるのなら、私はありのままで従おうと決心したのです。そして、「後には栄光のうちに受け入れてくださる」ということばには、主の十字架による勝利と栄冠が輝いて見えたのです。 あれから、早くも40年になろうとしています。振り返ると間違いなく主の諭しと導きは真実であり、残された人生にも神の栄光の希望が溢れているのです...