2024年8月– date –
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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち197
アントニオいのち「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント15:7) このたび、私と私の兄、そして私が所属する教会の長老の三人で『こいのにあ三人写真展』と題して、青森市内で写真展を開催させていただきました。私たちキリスト者三人が、それぞれのテーマと視点で自分の心象を写真表現してみたのです。うまく表現できたかというと、まだまだ不十分なのですが、それにしても、かつては自分本位でしか物事を見ることができなかった者が、キリストによって新しいいのちが与えられ、かつてなかった新しい視点で物事を捉えるようになったのは事実です。私自身は、いつ死んでもおかしくない病弱な少年で、... -
心の目が開かれて
説教要約あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものかを、知ることができますように。エペソ書1章18節 [聖書]エペソ1:17〜19 第二コリント5章17節のみことばにあるように、私たちはキリストにあって新しく造られた者であり、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなった」のです。つまり、キリストによる新生によって、新しいいのちが与えられ、神の恵みによる徹底的な新しい視点(見よ、すべてが)が与えられたことを意味するのです。 『こいのにあ三人写真展』は、本日が最終日です。私たちは、この被造世界をキリスト者としての視点で捉え、神の恵みを証... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち196
アントニオいのち“ 顔が、水に映る顔と同じであるように、人の心は、その人に映る。” これは、箴言27章19節のことばです。「心」、それは、私たちの感情の倉であり、喜怒哀楽がストックされています。 また私たちの性格も、その人の心をあらわしていると言えるでしょう。私が友人牧師から教えられ,感銘を受けたある牧師の詩をご紹介します。タイトルは『心と顔』です。 “心が外にあらわれて顔 顔が内にはいって心 あたたかい心がやさしい顔 つめたい顔がけわしい心 どこにいても心と顔は一つ ” 聖書は、心は自我の座であると同時に、サタンの座にもなり、またキリストの聖霊の座ともなることを教えています。つまり私たちの心が何によって導かれ、支配されているかが大事になるのです。私が大... -
アブサロムの謀反
説教要約「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」第1サムエル16章7節 [聖書]2サムエル15:1-10 本章に登場する中心人物のアブサロムは、ダビデの三男で、政略結婚で妻としたゲシュルの王タルマイの娘マアカから生まれた子です。すでに、ダビデの大罪については、先週お話しし、彼の罪のゆえに後々、その咎を負うようになることを預言者ナタンによって告げられていました。このアブサロムは、ダビデの長男アムノンが妹のタマルを陵辱したことに恨みを持ち、父ダビデを騙し、義理の兄を殺してしまうことが13章に記されています。なんと兄弟で陵辱、殺人が行われたのです。こうした中で、アブサロムは徐々に力を掌握し、民にへつらい、民の心を盗み、父... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち195
アントニオいのち主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。(詩篇19篇7節) 「主の教えは完全」とは、英語では、<The law of the Lord is perfect.>とあり、それは文字に記された神のことばである「律法」(トーラー)を意味します。この19篇のダビデの賛歌は、冒頭の1節において「天は神の栄光を語り告げ」とあるように、自然界における神の創造の御業と力、そして7節に続く律法のことばとが、相互の関係によって、はっきりと知ることができると詩人は主なる神を讃えるのです。つい最近知ったことですが、かつて重度の精神疾患で苦しんでいたご夫妻が、友人を通してキリスト信仰に導かれ、二人とも病が完全に癒やされ、やがてご主人は牧師にな... -
ダビデの大罪に学ぶ
説教要約ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。」第二サムエル12章7節 まずは、箴言の16章2節を心に留めましょう。「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる」とあります。私たち人間は、気付かぬうちに自分のことを棚に上げて、人の失敗や弱さを中傷し、自分の正しさを主張する傾向があります。目が自分の内側に向いている人は幸いです。それはまさに心の貧しい者は幸いです」と仰せられた主の祝福です。昨日の通読箇所の11章からは、ダビデの大失敗と大罪が如実に記されています。『みことばの光』の執筆者は、「姦淫、偽り、欺き、殺人教唆、略奪など、坂道を転がり落ちるように周囲を巻き込んだ大罪を犯した」と記しています。それは... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち194
アントニオいのち高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。(箴言16:18) 昨日のニュースで青森選出の国会議員が元秘書にパワーハラスメントで訴えられ、謝罪コメントを発表するという出来事が報じられました。その内容の一部として、車の移動で赤信号の際、「時間がもったいないから行ってしまえ」とか、暴言を吐きながら、後ろから運転席を叩くというもので、元秘書は体調を崩し、5日間で退職したと言うのです。国会議員のパワハラ問題は何度も報道されてきたことです。本当に情けなく思います。冒頭に掲げた聖書の格言は、私たちが肝に銘じなければならない教訓です。同じ箴言に、「へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる」(16:19)とあ... -
主を知るということ
説教要約ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立たせて、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。第二サムエル5章12節 [聖書]2サムエル5:1-12 先週、私は説教協力で勝利兄と一緒に仙台の泉パークタウン教会に行ってまいりました。写真は教会の中心メンバーで、これに2倍くらいの人たちと、ZOOMで6名の方々が礼拝に参加され、祝福された礼拝となりました。「教会」それは、キリストのからだであり、各部分がつなぎ合わされて一つとされています。イスラエルの民が神にあって一つであるように、キリスト者は、イエス・キリストにあって一つです。本日は、このことを覚え、教会に与えられた使命を再確認し、私たちが今為すべきことを教えていた... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち193
アントニオいのち怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。(エペソ4:26) これは、使徒パウロが紀元61年頃にローマの獄中からエペソを中心に小アジアの諸教会に宛てて書いた「獄中書簡」と言われる手紙の中のみことばです。キリスト者が信仰生活において心がけるべき勧告です。怒りは争いを引き起こし、分裂、分断をもたらします。パウロはこの手紙で、「あなたがたが霊と心において新しくされ続け、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」と述べ、「ですから」(だから)、「怒っても、罪を犯してはならない」と勧告しているのです。かつては激しやすい性格だったという信仰の先輩が、このみことばに教えられ、怒っても決して翌日には持ち越さ...
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