2023年– date –
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主を求めて生きよ アモス5:1-15
善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。アモス5章14節 先週私は、旭川めぐみ教会の聖書講演会で『聖書が語る神の愛』というテーマで講演をさせていただき、聖霊に押し出されてメッセージを取り継がせていただきました。新しい方々が10名、その他に教会メンバーのご家族が集われ、祝福された講演会となりました。このような働きと祝福は背後の祈りがあればこそで、感謝でいっぱいです。先週から私たちはアモス書の通読に入っています。アッシリヤ捕囚のおよそ30年前、BC750年頃に南ユダの羊飼いであり、農夫でもあった預言者アモスによって語られた北イスラエルのさばきに関する預言の... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち151
「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」エペソ2:14-16 実に、キリストこそ私たちの平和です。」(エペソ2:14) このたび私は、旭川の教会に講師としてお招きされ、『聖書が語る神の愛』というテーマでお話をさせていただいた。背後の積み上げられた豊かな祈りにより、聖霊に押し出されるように、神の愛について語らせていただいた。同労の牧師ご... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち149
「一切のことを、愛をもって行いなさい。(1コリント16:14) 「愛は結びの帯として完全です。」(コロサイ3:14) 私の一日は、朝の祈りとみことばから始まり、就寝前の感謝の祈りで終わります。取るに足りない小さな者が、キリストの十字架の愛と恵みによって、全知全能の偉大な神を知るようになり、素直に「天の父なる神さま」と呼ばわり、祈れる人間に変えられた。まさに奇蹟である。その神が使徒パウロを通して、「一切のことを愛をもって…」と語り、さらに「愛は結びの帯として完全です」とも言うのです。この「一切のこと」と「完全」は、まさにeverythingでありperfectなのです。今もなお罪深い愚かな者が、どうしてこれを実行出来ようかと思われるかもしれないが、なんと朝一番に、... -
共におられるイエス
まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいましょう。 詩篇23篇6節 先週末の私は、スケジュールが詰まっていて、とても慌ただしい時間を過ごしていました。それでも、朝毎のみことばと祈りの時間が守られ、夜の感謝の時を欠かさず過ごせたのは、「いつも主が共におられる」という信仰の恵みだと感謝しています。本日の「みことばの光」の通読箇所は詩篇23篇です。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(v.1)多くの苦難を経験したダビデが、主の助けと守りを回顧しながら、主なる神を羊飼いとし、自らをか弱き羊になぞらえて、歌うこの詩は、まさに、九十九匹を残し、いなくなった一匹の羊を探し... -
信仰の土台 マタイ6:24-34
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。マタイ6章33節 本日の週報表紙の写真は、先週行われた「東北地区秋季聖会」の様子です。コロナパンデミックが収まり、昼食の交わりも自由になり、講師の岩松先生から『終末から始まる世界』と題して大きな励ましをいただきました。岩松先生は、自身が末期癌と宣告され、まさに人生の終わりを体験し、さらには突然のように奥様が天に召されました。 相次ぐ試練の中で先生が見たものは、キリストの十字架を通して与えられる終わりに見る新たな出発なのです。 聖会の最後に、私が感謝の挨拶をさせていただき、「宣教とは、真実な神のみことばと、そのみことばに生きる信仰者の... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち148
「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33) 主イエスの「山上の教え」のこのみことばは、恵み溢れる神の国と、この地上の様々な問題の中で生きる信仰者にとって、心配や思い煩いを引き起こす心、その生活が、私たちを神から引き離す一番の大敵であることを教えています。「神の義」の「義」のギリシャ語は「デカイオスネー」で、聖書外では、法廷において義を宣告される際に用いられる裁判的な意味と、聖書の「救い」と「勝利」という意味を兼ね備えています。「神の国と神の義」とは、キリストの救いが私たちの出発点であり、神の御手の中にある人生こそ、心配や思い煩いを払拭し、真の平安と希望を与えてくださる原点なのです。それゆえに、最も大切なことは、偉大な天の父... -
新たな始まり [聖書]第2コリント5:15-17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。2コリント5章17節 使徒パウロがコリントの教会に宛てたこの手紙には、パウロの涙ながらの渾身の思いが込められています。それは宣教の情熱だと言っても良いでしょう。キリストにあって、罪赦され救われた者が、キリストにあって真実に生きるとはどんなことかを教えているのです。 先週水曜夜の祈祷会で学んだ5章前半はイスラエル特有のキーワードで記されているため、注意深く読み取る必要がありました。たとえば、「地上の住まいである幕屋」とか、「人の手によらない永遠の住まい」、「天からの住まい」とか、「神はその保証として御霊を... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち147
「私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4:16) 私マッキーは、70を超え、老人と呼ばれる年齢になりましたが、気持ちは未だ現役の青年です。しかし、冒頭に掲げた聖句のように、確かに体力は衰え、目も弱くなり、見た目はまさに年相応になってしまいました。少年時代は病弱で、元気になったと思ったら道を外し、親兄弟の悲しみの子でしたが、キリストの十字架の福音により、新しいいのちと御国の恵みに生きるようになってからは、毎日がクリスマスとイースターの喜びに溢れています。 それゆえに「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝せよ」というパウロのことばを実感するようになりました。「私たちは落胆しま... -
『私の民、私の神』 [聖書]ルツ記3:1-11
ボアズは言った。「娘さん、主があなたを祝福されるように、あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています。あなたは、貧しい者でも富んだ者でも、若い男の後は追いかけませんでした。ルツ記3章10節 先週の礼拝説教は、士師記のまとめとして、『私の神、私の主』というテーマでお話ししましたが、実のところその逆で、「私が神、私が主」という、「それぞれが自分の目に良いと見えることを行なっていた」という背信と放縦を示すことばで士師記は閉じられるのです。 士師記は、悶々とした暗い12部族のリーダー無き、背信の三百年であったと言えるでしょう。そして、聖書通読箇所は、士師記からルツ記へと移りました。先週水曜日の祈祷会ではルツ記3章から学ばせて... -
• Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち 146
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ記 1:16b) このことばは、夫を失い未亡人となったルツが、モアブの地で姑のナオミに語ったものです。姉のナオミもまた夫を失い、さらに二人の息子をも失い、残されたのは二人の息子がモアブで髪った嫁たちでした。そんな悲しみの中で、ナオミが自分の土地、ユダのベツレへムに帰ろうとした時、兄嫁のルツが姑にすがって言ったこのことばは、まさに神への信仰告白なのです。 エレミヤ30:22に、「あなたがたは私の民となり、わたしはあなたがたの神となる。」と主のことばが記されています。これは、ルツの信仰に報いるような神の祝福のことばです。さらにエレミヤ書ではこう続きます。「そのとき、若い女は踊って楽しみ、若...