2023年11月– date –
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◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち156
アントニオいのち「こどもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」(1ヨハネ3:18) 真実な愛は、岩のような固い心をも打ち砕く神の力です。このことばを記した使徒ヨハネは、弟子たちの師である主イエスの一番弟子ペテロを差し置いて、自らを「イエスが愛された弟子」(ヨハネ21:20)と書き記し、イエスに豊に用いられました。ヨハネの福音書の他に第一と第二ヨハネの手紙を書き記し、さらには聖書巻末の壮大な終末の預言、「ヨハネの黙示録」を記しました。彼は、短気ですぐに怒りやすい性格から、「ボアネルゲ」(雷の子)と主にあだ名を付けられるほどでした。しかし、後のヨハネは、愛に満ちた人となり、主の母マリアのお世話をするようになり、多くの人々にキ... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち155
アントニオいのち「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6) この詩篇23篇を英国の名説教家スポルジョンは、「天国を歌ったダビデの牧歌」であり、「まさしく詩篇の真珠である」と表現しています。特に冒頭に掲げた最後の6節、「私はいつまでも主の家に住まいます」は、天国における永遠の住まいを表しています。この地上で、主の 「いつくしみ(トーブ/goodness)と恵み(ヘセド/love)」が、背中を押すようについて来る(goodness and love will follow me)というのですから、なんという信仰の確信でしょう。今から21年前、私の母が天に召される時、私は母の枕元で、暗唱していたこの詩篇23篇を声に出し... -
恵みと祝福は主から
説教要約主は ご自分の民に力をお与えになる。主は ご自分の民を 平安をもって祝福される。 詩篇29篇11節 先週水曜夜の祈祷会で、堤長老から「恵みと祝福の違いはなんでしょう」という質問が、ある方の代弁としてなされ、ダビデの詩篇26篇を学びながら、出席者とともに考えてみました。そして、私がこれまで学んで来たことをお話しし、それをあらためて先週の「アントニオいのち」でも配信したのです。恵みと祝福を分けて考えることはとても大切なことだと思っています。ギリシャ語の辞書では「恵み」(カリス)は、「恵み深い行為、恩恵、恩寵であり、新約聖書では、神がキリストによって人類にもたらされた無償のギフトである」とあります。つまり、恵みはキリストの十字架によって与えら... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち154
アントニオいのち「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2-3) 昨夜の祈祷会で「恵みと祝福はどう違うの」という質問が出された。本当に純真な質問で、私も「う〜ん…」とうなずきながら、出席者とともに考え、私からは、恵みは旧約聖書の原語では「ヘセド」と言い、「愛、誠実、慈しみ、あわれみ、恵み」など神のご性質を表します。神は、御子イエスの十字架の贖いの御業で、この豊な恵みを私たちに与えてくださいました。これを新約の原語では「カリス」と言い、神がキリストによって人に与えたこの祝福が無償であることを「恵み」であると言い、「祝福」...
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