まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。マタイ6章33節
本日の週報表紙の写真は、先週行われた「東北地区秋季聖会」の様子です。コロナパンデミックが収まり、昼食の交わりも自由になり、講師の岩松先生から『終末から始まる世界』と題して大きな励ましをいただきました。岩松先生は、自身が末期癌と宣告され、まさに人生の終わりを体験し、さらには突然のように奥様が天に召されました。
相次ぐ試練の中で先生が見たものは、キリストの十字架を通して与えられる終わりに見る新たな出発なのです。
聖会の最後に、私が感謝の挨拶をさせていただき、「宣教とは、真実な神のみことばと、そのみことばに生きる信仰者の生き様です」と神学生時代、羽鳥明先生から教えられた教訓をお話しさせていただきました。まさに信仰の土台とは、自らの終わりから見える新しいいのちと神の国に生きることなのです。
本日は、第四週の主日ですので、新しい方も分かるように、キリスト信仰の土台をみことばから再確認させていただきます。地上の生活における我々人間の思いと、神の国と神の義に生きる信仰者の思いと、その生き様の違いについて、主イエスの山上の教えから共に学んでまいりたいと願っております。
1.信仰による神の国について
「神の国」ということばをマタイはさらに、「天の御国」と他の福音書よりも多く用いています。ここには、今の世と来るべき世の二面的構造があります。一面において未来的であり、もう一面では、イエスの到来によって、現在与えられている神の国です。主は「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)とも教えられました。
2.あなたの信仰の居場所は?
5章から始まる主の山上の教えは、「幸いな人よ」(八福の教え)から始まります。それは、ユダヤの律法によるこの世の生き様から、キリストにある信仰者の新しい生き様へと新たな導きを与えておられることを知るのです。「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」(マタ6:21)とあります。
つまりこの世か、神の国かなのです。
3.神の国と神の義を第一に
先週配信した「アントニオいのち」に本日の中心聖句の解説を記しています。私たちの大敵はこの世の思い煩いです。それに潰されて信仰を失った人は数えきれません。キリストは偉大な救い主です。ご自身の十字架によって私たちを義とし、神の子とし、神の御国に生きる者としてくださったのです。ここに私たちの信仰の土台があるのです。
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