この世では旅人

 寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからですある。出エジプト22章21節

 今朝は、本日の「みことばの光」の通読箇所、出エジプト記の22章から学ばせていただきます。私たちは礼拝の聖書交読で繰り返し出エジプト記20章の「十戒」を司会者と交読しています。
 3節から始まる十戒の前文は2節の「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」です。つまり、イスラエルは最初から神の民としての立場にあったのではなく、400年という長きに渡るエジプトの奴隷状態から神の恵みと導きによって解放され、神の民とされたことが十戒の大前提なのです。また十戒にはすべて「あなた」と二人称単数が用いられ、民の一人ひとりがこれを守る義務があること示しているのです。かつてはこの私も罪の奴隷でしたが、キリストの十字架の贖いによって罪の滅びから解放され、神の国に生きる者と変えられました。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と主イエスが弟子たちに、仰せられたことの中に、教会としてのあり方、キリスト者としての生き方について学ばせていただきたいと思います。

1.神の契約と祝福
 先週水曜日の祈祷会では19章を共に学びました。特に条件文で記されている5節の「もし、わたしの契約を守るなら、あなたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる」という、「わたしの宝」とは、「個人のコレクション」という意味があり「世界一の宝があなたです」との特別な意味を持つのです。
新約的にいうならマタイ6:33です。

2.にもかかわらず…
 「にもかかわらず」です。モーセは神の十戒を受けるためにシナイ山の頂に40日40夜とどまっていました。律法の詳細な規定である民事的なこと、神への礼拝と幕屋、祭司の装束、ささげ物など、種々の規定が31章に至るまで続くのです。麓でモーセを待ち切れなかった民は、なんと真の神に変わる金の子牛の偶像を造り、いとも簡単に神にそむいでしまうのです。(32:1-6)

3.神の国を目指して
 先週の祈祷会でも私たちが共感したことは、上記は今日の私たちの姿でもあるということです。主から離れると私たちはいとも簡単に偶像の支配下に置かれるのです。神の人モーセが、そんな民を導いたように、今私たちの主キリストは、聖霊により私たちに伴い御国への歩みを導いてくださるのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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