それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが全部で十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。(マタイ1章17節)
12月第二主日の本日からアドベント三週目に入りました。今年のクリスマスは、これまでにない、何か特別なものを感じます。三年にわたるコロナ禍とロシアのウクライナ侵略戦争、揺さぶられる世界経済、悲惨な事件と貧困問題等。
これだけ重大な問題が山積しているのにも関わらず、政治家たちは自分たちの利権のために主義主張を繰り返していて、もうウンザリです。にも関わらず、多くの国民は「事なかれ主義」のように、「熱くもなく冷たくもない」こんな人々の思いがヒタヒタと教会にも入り込んでいることを感じられないでしょうか。
つい最近、共産主義の中国で、若者たちが「コロナゼロ政策」に痺れを切らし、言論の自由を求めて激しい抗議運動を起こしたことが報道されました。
実は、歴史はこのようなことを繰り返しているのです。本日の通読箇所のマタイ一章のイエス・キリストの系図は、まさに、戦いと混乱、破壊と悲惨の興亡の中に、万物の創造者である神が、約束の民を中心に、救いの御子を世の光、世界の光として、この世に与えてくださったことを「ダビデの子、イエス・キリストの系図」を通して、示しておられることを学ばせていただきたいと思います。
1.あり得ない人を神は
「神はご自身の目的を遂行するために最もあり得ない人を用いられる」
これは、昔、私が神学生時代に読んだジョン・ストットの『サルベーション』の中の最も印象に残った一文です。系図を注意深く確認すると、異邦人の女性、ラハブ、ルツ、そしてダビデがその夫を殺したウリヤの妻、さらには国が分裂してからは最悪の王とされるマナセがその名を連ねているのです。
2.王国の分裂の中にあっても
イスラエル王国は、サウル(40年)、ダビデ(40年)、ソロモン(40年)と120年続きますが、ソロモンの罪によって、王国は北と南に二分し、北はアッシリアによって滅亡し、南はバビロンによって滅ぼされてしまいます。これらの悲惨については「主がそう仕向けられた」(1列12:15)と聖書は記しています。
3.神にとって不可能はない
名もないマリヤから生まれた救い主誕生の際に神の御使はマリヤに「神にとって不可能なことは何もありません」(ルカ1:37)と仰せられました。私たちは旧約聖書を通読して、神の選びの民は背信の民であり、心頑なな愚かな集団であることを知っています。その民の罪を、神は御子の十字架によって救い、まことの民としてくださるのです。