「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2-3)
昨夜の祈祷会で「恵みと祝福はどう違うの」という質問が出された。本当に純真な質問で、私も「う〜ん…」とうなずきながら、出席者とともに考え、私からは、恵みは旧約聖書の原語では「ヘセド」と言い、「愛、誠実、慈しみ、あわれみ、恵み」など神のご性質を表します。神は、御子イエスの十字架の贖いの御業で、この豊な恵みを私たちに与えてくださいました。これを新約の原語では「カリス」と言い、神がキリストによって人に与えたこの祝福が無償であることを「恵み」であると言い、「祝福」は、その恵みによってもたらされる豊な実、つまり良い地に蒔かれた種のように、何十倍もの結ぶ実であり(マタイ13:8)、「愛、喜び、平安、寛容、親切」など(ガラテヤ5:22)という具体的な結実だと答えました。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2023.11.2)