「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネの福音書16章33節
今週の週報表紙の写真には、先週主日の午後に行われた「CS陶芸教室」の写真を掲載しています。天地万物を造られた主こそ、私たちを造られた名陶器師であり、私たち一人ひとりは、その作品です。
その器をどのように用いるかは、主のみこころに委ねられているのです。
したがって、御子イエスが、苦難の十字架の道を歩まれたとき、「あなたのみこころのままに」と自らを父なる神にお委ねになった御思いこそ、私たちの信仰の正しい在り方なのだと思います。
造られた器が、「僕はこんなのは嫌だ」と駄々を捏ねたら、陶器師は直ちにその器を壊してしまうでしょう。
今朝は、第四週の主日です。子どもたちも一緒に、聖書のお話をお聞きしましょう。私たちの救いのために十字架の道を歩まれたイエスさまは、「あなたがたは世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(v.33)と仰せになりました。私たちは、今は様々な困難がありますが、イエスさまの十字架の死と復活によって、全ての戦いに勝利を与えられているのです。このことを信じることによって、人の全ての考えに優る神の平安が約束されているのです。
1.神の愛を知ることによって
「知る」という聖書原文が用いることばに二つあることを前回お話ししました。「知識として知る」と「経験を通して事実として知る」です。使徒パウロがキリストを知ったのは、ダマスコ途上の主との出会いからでした。それまでは神については、律法によって知識として知っていたというわけです。三浦綾子さんの名作『塩狩峠』も事実を通して示された愛について教えているのです。
2.たとえ打ちのめされても
キリスト者迫害の歴史は、初代教会から今日に至るまで、世界中で絶え間なく続いています。戦時中の日本においても、教会が弾圧され、殉教した牧師たちがおります。こうしたことは、社会情勢が変わると起こりうることです。しかし、私たちキリスト者は恐れることはありません。主の八福の教えにあるように、喜び躍るような勝利の栄冠が私たちを待ち受けているのです。
3.勝利の喜びが溢れているから
今の私の毎日は、天国の希望で溢れています。それは、先人たちの信仰によって、先取りすることができた主の恵みです。「世に勝った」とは、完了形です。主の栄冠が、すでに備えられているのです。このことが、私たちの信仰の希望であり揺るがぬ確信なのです。