「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13)
この聖句を思うとき、昔読んだことのあるアンドレ・ジットの『狭き門』という小説を思い起こします。
「狭き門」というと、いつの時代も受験生にとっては難関をイメージするでしょう。しかし、主イエスが言われた「狭き門」とは、「永遠のいのちに至る門」であり、「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる」という、天の神の溢れるばかりの恵みであることを教えているのです。今は牧師として生きている私は、かつては落ちこぼれ少年で、何をやっても中途半端な人間でした。挙げ句の果てには大きく道を外し、警察に補導されることしばしば、母の悲しみの子となり、自らもそのことで嘆き苦しみ悶えていたのです。ある時、死を覚悟で、そのことを自問自答していたとき、自分が本物の愛を求めて心憂えていたことを知ったのです。そして180度方向転換し、辿り着いたのが「いのちに至る門」だったのです。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2025.1.23)
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