「 ま こ と に 、 ま こ と に 、 あ な た が た に 言 い ま す 。 信 じ る 者 は 永 遠 の い の ち を 持 っ て い ま す 。 わ た し は い の ち の パ ン で す 。 」
ヨ ハ ネ 六 章 四 七 節 〜
私たちの「いのちのパン」 [聖書]ヨハネ6:47〜57
先週は礼拝の中で三上綾葉姉の洗礼式が執り行われました。
厳かな中にも一際溢れる喜びがありました。
それは、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」(ルカ 15:10)とあるように、天上では、めぐみ姉をはじめとし、先輩クリスチャンたちが、雲のように私たちを取り巻いて主の御名を讃えていたと思います。
霊において新しく生まれた綾葉さんは、みことばの乳によって成長し、いのちのパン(キリスト)によってさらに豊かにされて行くのです。
キリスト者としての新しいいのちと新しい人生について考えるとき、「キリストの十字架の死と復活は、私の救いのためである」と信じ告白しなければ始まらない。
つまり、イエスさまを信じなければ、新しい人生は始まらないということなのです。
今朝は、教会学校の子どもたちも一緒に、「いのちのパン」であるイエスさま、「神のことばである聖書」(イエスさま)について、「みことばの光」の通読箇所から学んでまいりたいと思います。
本日の中心聖句は、ヨハネ6章47節と48節です。
「永遠のいのちをもたらすいのちのパン」による、希望に溢れる新しい人生についてお話し致します。
1.いのちのパンはイエスさま
青森で有名なパン屋さんは「工藤パン」ですが、最近はテレビのCMで見る「ヤマザキパン」が青森でも有名になりました。
でも、聖書は二千年前から、イエスさまが、「わたしはいのちのパンです」と教えているのです。(v.35,48)
イエスさまのパンは決して渇くことがない永遠のいのちのパンなのです。英語だと「I am the bread of life.」です。
2.小声で文句を言うな
パンというと「アンパンマン」を思い出します。
彼には敵が多くいるのです。
イエスさまが「わたしは天から降ってきたパンです」(v.41)というとユダヤ人たちが小声でブツブツ、「あれは工藤パン」ではないかと言わんばかりに、「あれはヨセフの子イエスではないか」と文句を言い始めるのです。
イエスさまを信じなければ本物は分かりません。
3.イエスさまを食べて生きるとは
イエスさまは、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです」(v.55)と教えています。
このことは、私たちが行なっている聖餐式を連想します。
まさに、イエスさまが十字架上で裂かれたからだであり、流された血潮です。
この十字架のイエスさまを信じることなくして、決して新しいいのちを得ることはできないのです。