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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち194
高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。(箴言16:18) 昨日のニュースで青森選出の国会議員が元秘書にパワーハラスメントで訴えられ、謝罪コメントを発表するという出来事が報じられました。その内容の一部として、車の移動で赤信号の際、「時間がもったいないから行ってしまえ」とか、暴言を吐きながら、後ろから運転席を叩くというもので、元秘書は体調を崩し、5日間で退職したと言うのです。国会議員のパワハラ問題は何度も報道されてきたことです。本当に情けなく思います。冒頭に掲げた聖書の格言は、私たちが肝に銘じなければならない教訓です。同じ箴言に、「へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる」(16:19)とあ... -
主を知るということ
ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立たせて、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。第二サムエル5章12節 [聖書]2サムエル5:1-12 先週、私は説教協力で勝利兄と一緒に仙台の泉パークタウン教会に行ってまいりました。写真は教会の中心メンバーで、これに2倍くらいの人たちと、ZOOMで6名の方々が礼拝に参加され、祝福された礼拝となりました。「教会」それは、キリストのからだであり、各部分がつなぎ合わされて一つとされています。イスラエルの民が神にあって一つであるように、キリスト者は、イエス・キリストにあって一つです。本日は、このことを覚え、教会に与えられた使命を再確認し、私たちが今為すべきことを教えていた... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち193
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。(エペソ4:26) これは、使徒パウロが紀元61年頃にローマの獄中からエペソを中心に小アジアの諸教会に宛てて書いた「獄中書簡」と言われる手紙の中のみことばです。キリスト者が信仰生活において心がけるべき勧告です。怒りは争いを引き起こし、分裂、分断をもたらします。パウロはこの手紙で、「あなたがたが霊と心において新しくされ続け、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」と述べ、「ですから」(だから)、「怒っても、罪を犯してはならない」と勧告しているのです。かつては激しやすい性格だったという信仰の先輩が、このみことばに教えられ、怒っても決して翌日には持ち越さ... -
神を信じて生きるとは
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ローマ10章11節 聖書箇所/第一サムエル31章1節〜13節 本日は第一サムエルの最後の章から、主に油を注がれて王になったサウルと、主に愛された息子のヨナタンと二人の兄弟たち、サウル王一家の悲惨な最期から考え学ばせていただきます。虚しく響く記事(節)の一つひとつに、このサムエル記全体に登場する一人ひとりの言動とその結末の集大成のようなものを覚えさせられ、彼らが登場する場面場面で、私ならどうしていただろうかと考えさせられます。つまり、神に信頼して行動するその信仰とはどんなことなのかということです。 1.登場人物のその信仰によって これまでも繰り返し確認しま... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち192
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11) 「この方」とは、十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い出してくださったキリストを指しています。 また旧約聖書の詩篇において、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」と歌われています。これは「真実な神のみことば」を指しています。昨年6月、青森において写真愛好家の70代のご夫妻が、山菜取りで入山して遭難し、懸命な捜索もむなしく、一週間後にご遺体で発見されました。山に詳しく、山菜取りのベテランとのことでした。私自身もまた、道に迷うことがしばしばあります。けれども、「聖書のことば」がわが道の光となり、私を助け出してく... -
あのとき彼がいなかったら
ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。」第一サムエルニ5章14節 『ぶれない信仰』と年間テーマを掲げ、「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」との聖句で半年を経過しました。私たちは今、試みられています。私自身の生き方が今一度厳しく問われているところです。しかし、幸いなことに、主からの慰めと励ましがあり、信仰の希望は少しも変わりません。私たちの人生には、「もし、このことがなかったら、あのことがなかったら」と、思い悩むことがよくあることです。私自身は、本日の週報の『いのちのパン』に掲載しましたが、詩篇73... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち191
「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この詩篇のみことばは、今から38年前のお正月に、京都のビジネスホテルの一室で、キリスト者として神学校への献身を求め、主のみこころを求めて祈っていたときに、閃きのように与えられたものです。あれからすでに38年が経過しました。37歳で神学校を卒業し、ふるさと青森で伝道者としての働きを始め、68歳のときに妻に先立たれ、70を過ぎた今も現役として働きを続けています。愚かで失敗だらけの牧会生活ですが、苦難の中にあるとき、不思議とこのみことばに戻され、「主が私を諭して導き、栄光のうちに受け入れてくださる」という確信が与えられるのです。残された人生があとどれ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち190
「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。(1コリント13:2) これは、『愛の章』と呼ばれる有名な使徒パウロのことばです。キリスト者であれば、誰でも捕まえて投獄するという意気に燃えていた迫害者サウロが、キリストとの出会いによって、神の愛を世界に伝える宣教者に変えられるのです。有名なパスカルの『パンセ』の中に「神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう」とあります。ただ知っていると言うのと神を愛し、その愛に生きるのとでは雲泥の差があります。教会の迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられたパウロ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち189
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2コリント5:17) 先日、撮影取材を兼ねて信仰を共にする写真仲間と十和田湖・奥入瀬渓流へとカメラを持って出かけた。朝4時半に出発し、戻ったのは夕方だった。ヘトヘトに疲れたが、目に入った大自然は、まさに神の創造の世界で、その雄大な自然の色彩と光、空気感に圧倒され、見るものすべてが新しい感覚にされている自分に気づかされた。まさに「見よ、すべてが新しくなりました」を実感させていただいたのだ。ネイチャーフォトは得意ではない私だが、今回ばかりは切り込み方が違っていた。奥入瀬の水の流れに、いのちの躍動を感じ、森林の木漏れ日か... -
ただ主を信じて
ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。第一サムエル12:24 先週は、私にとっていろいろなことが重なり、大変忙しい一週間でした。右耳が難聴で聞こえず、とうとう病院に行き治療を受けました。また風邪を引き、金曜日の午前中は、寝汗をかき、うなされるように寝込んでいました。こうして、とても苦しい状態の中、『ライフ・ラインのつどい』が開催されました。 ただ嬉しいことに、発汗してうなされている間中もみことばが頭の中をぐるぐると循環し、心に平安が与えられ、きっと主がすべてをご自身のみこころのままに行わせてくださるという確信が与えられていたのです。今回は第五主日で、初心者...